トナカイ語研究日誌

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「物語」を疑え

物語の「トンネル」を通りたくない人は意外と多いのかもしれない - ジゴワットレポート

「小説が嫌いなんですよ」というとたいてい変な顔をされる。特定の小説が嫌いというのではなく小説というジャンル自体が嫌い。文章で物語を綴るという形式そのものが好きじゃない。それでいて職業は一応専業の物書きなのだから余計に変な顔をされる。

この記事を読んだときに嫌な感じを受けたのは、「物語の人」によくみられる物語への絶対的な信頼感と、それを理解できない人をどこか低く見る視点のせいだ。いくら気を使って書いていても伝わってくる。「物語の人」はどこか傲慢だ。

昔「秒速5センチメートル」を観たとき、電車が遅れるシーンで意図的にチンタラした映像表現を使って主人公の焦燥感を観客に伝えるという技法を用いていた。しっかりとそのワザにハマってイライラしながら観たものだけれど、後からなんだか嫌な気分になった。技術でもって他人の心理を操作する根性がどうも気に入らなかったのだ。詐術にあったような気持ちになった。

僕もこの記事の「嫁さん」同様、漫画や映画にあまり積極的に触れない。「トンネル」を作る作劇メソッドのあざとさが嫌なのだ。「トンネル」を作る作劇メソッドなんて物語の手法の一パターンでしかない。特定の感情を抱くように意図的に刺激する現代的作劇メソッドが、どうも気に食わない。ましてや怒るとか泣くとかやたらとエネルギーの使う感情ばかり刺激しようとしやがって。そのメソッドが独自の進化を遂げてきたことまでは否定できないけど、それだけが物語の全てじゃないよと思う。

現代社会で最も有効に物語を活用している優れたストーリーテラーはなんなら詐欺師とかだ。物語は他人の心理を操る手法として現代では機能している。刑事が二人組で厳しい奴と優しい奴に分かれて取り調べするのだって「トンネル」じゃないかな。

「物語の人」はだいたい、今どきの人はストーリーに興味がなくてキャラクターでしか作品を選ばないとか、ちょっとストレスがあるとついていけなくなるとか、そんなくさし方をする。だけど、他人の感情をコントロールしようとする物語の詐術をしっかりと見抜いている人たちの方がむしろ真っ当だ。みんなもっと「物語」を疑った方がいい。フィクションに興味がないという人も世の中には一定数いるけど(マツコ・デラックスもそうだと言っていた)、それもいたって健康的なことだと思う。

文学とか出版とかカルチャーとか、そういった世界ほど「物語」の価値を疑わない人は多い。この記事の人も「先の展開が予測できない」ことを好むタイプだと言うならむしろ物語を離れていろんな表現手法に接した方がいいんじゃないかな。現代美術とか先の展開が予測できないものしかないよ。