谷岡亜紀(たにおか・あき)は1959年生まれ。早稲田大学中退。1980年「心の花」に入会し佐佐木幸綱に師事。1994年歌集「臨界」で現代歌人協会賞、2006年歌集「闇市」で前川佐美雄賞および寺山修司短歌賞を受賞している。なお、男性である。
谷岡の短歌世界のキーワードは「暴力」と「アジア」である。熱い破壊衝動に満ちた歌がしばしばスタイリッシュに描かれ、ときにハードボイルドの匂いすら漂う。
黄昏の世界がおれに泳がせる50mプール32秒で
開戦の前夜のごとく賑わえる夜の渋谷に人とはぐれぬ
100km/hでホンダ飛ばせば超都市の欲望よ飢餓よ真夜中の祭
他人(ひと)がみな敵に見える夜ガレージに熱少し持つ単車を磨く
おれの中の射殺魔Nは逃げてゆく街に羞(やさ)しい歌が溢れても
超高層エレベーターに軟禁し「愛している」と呪文を言えり
毒入りのコーラを都市の夜に置きしそのしなやかな指を思えり
「射殺魔N」は永山則夫のことであり、「毒入りのコーラ」もまた実際にあった事件である。現実に起きた事件をモチーフとすることからも「暴力」への関心がうかがえるが、同時に「暴力」を「都市」と密接に結びついたものとして捉える傾向がある。都市が暴力を生み、暴力が都市を生むのである。そしてこのような暴力と都市との二重性への着目は、「アジア」への関心にもつながっている。
こころもち顔を赤らめ「東京!」とおれはお前の名を今日も呼ぶ
魚を食い今を生きおるガンジスの民は死して後魚に食われる
冥界と俗世を分かつ泥流を人のようなるもの流れゆく
まこと我は血の詰まりたる袋にてレバー・テンプル・ボディ打つべし
同情のすなわち優越の唾ためて食用猿を囲む円卓
フェンス越え来る解放の朝日さえ悔しく国家の旗先立てて
民族の心に飼えるずぶ濡れの諦めの犬 寒く眠らな
われもまた統治されいて目をこらす国境展望台の夕闇
国籍というをひもじくかざしつつ歩くほかなき雨のバザール
世界いま爆弾を背にくくられて閃光の中走る黒き犬
谷岡はインド、サイゴン、香港など多くのアジアの都市を実際に旅して歩き、その猥雑さが放つエネルギーを描き続けてきた。少し裏手に入れば暴力と貧困の世界が広がる空間を歩きながら、その猥雑さゆえにその地に魅了される自己を見つめている。そして「アジア的エネルギー」を発散する土地の一つに「東京」もまた含まれるのである。アジアを歩き続けてきたからこそ見える、アジアとしての東京像。最終的に目指すテーマは、そこにあるのだろう。
きらきらと空眩しくて選ばれし我と思いし日々も過ぎにき
激つ瀬の婚姻色の春の魚 恋を季節と決めて清しも
やがて来る別れを告げずテトラポッドに押し戻される波を見ていき
束の間をおまえが昇りつめるまであるいは海が蒸発するまで
女いて朱夏まばゆくて一握の銀貨をくれと言えば頷く
意地悪なオオカミはもういないから古い絵本を閉じて眠れよ
いつか王子様がやって来る朝よく晴れてジャングルジムが激しく冷えて
青春や相聞をテーマとした歌も魅力的なものが多い。谷岡が「アジア」に惹かれるのは、善悪を超えて「ただひたすら生きる」ことを目指すバイタリティを抱えた人々のギリギリ感あふれるパワーのおかげだろう。そして相聞をテーマとしてもやはり、倫理を超えて生の本質に触れようとする切迫感にあふれた表現を好むようだ。なぜ人は生きるのか。なぜ自分はこうも生きたいのか。その答えをひたすら求め続ける姿に、谷岡は人間の真実を見出そうとしている。
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