トナカイ語研究日誌

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現代歌人ファイルその197・伴風花

 伴風花(ばん・ふうか)は1978年生まれ。明治大学法学部卒業。1999年より「かばん」所属。2004年に第1歌集「イチゴフェア」を出版している。
 「イチゴフェア」はタイトルからもうかがえる通り、甘酸っぱい相聞歌集だ。

  歯みがきをしている背中だきしめるあかるい春の充電として


  「うごく」「いや動かない」「いや」真夜中に二人そろってまりもを見張る


  世界のおわりをうっとりねがう夜あけ前ふたりは青い動物になる


  ルール7・ケンカ時投げちゃだめなもの→乾電池(とくに単一)


  おかえりとただいまだけは元気よくかぎっこだった二人のために


  ルール0・絶対言っちゃだめなこと→愛してる(愛してないとき)

 しかしこれらの相聞歌から描かれる情景は、かなりねじれた恋愛描写である。「まりもを見張る」「乾電池(とくに単一)」といった表現からは、愛の力が日常を食い破ってしまったような常軌を逸したものを感じる。ここにある恋愛は「かぎっこ」的とでも言ったらいいのか、一人遊びの延長線上にあるような心の行き違い感がある。

  ひとつにはなれないことを忘れますきみの寝息に呼吸あわせて


  不一致を今日またひとつたしかめて駅の階段上手に下りる


  方角はわからないけど方向はわかる こっちは危険 わかるの


  背を向けて眠るその背をだきしめて眠れるくらい強くなりたい


  じんちょうげ そう、じんちょうげ 沈丁花 春の雨の日想いだしてね


  抱きしめて「愛してる」なんて言わないで ことばで愛を補わないで


  ゆるすって優しい力あすからも生きてくじぶんにやさしいちから

 恋人同士であっても決してすべてを分かり合えないこと、完全に一つにはなれないことに対して自覚的である孤独な人間同士のぶつかり合いでしか愛が表現しえないかのように相聞歌が詠われる。伴の描く作中主体は、旺盛な自立心の背反として自分で何もかも決めなくてはならないという孤独をも抱え続けている。痛いくらいの切なさはそこから生まれている。

  ファールフライ必死に追って捕ったのにタッチアップで逆転される


  素振りして入ったのにね今日もまた二打席送りバント(失敗)


  ボールには最も触っていないのに最も汚れているユニフォーム


  ライトまでいつでも全力疾走で向かう背中に翼がみえるよ

 「イチゴフェア」にはストーリー仕立ての連作が多く入っている。これは「ライパチ」という一連で、4首のみの連作なので全部載せてみた。「ライパチ」(8番右翼手、少年野球などでは一番うまくない選手がつくポジション)の少年へ捧げた歌である。
 この他にも野球部のマネージャーを主人公にした「ファール・ボール」、ソフトボール少女時代を回想した「まめ」、学校生活を描いた「バケガク・ノート」、15歳で脳死状態に陥った少年を見舞った経験をもとにした「文月」などがある。それらはストーリー性を重視するために一首の独立性が弱かったり、描かれている青春風景のシチュエーションがいささかベタだったりする傾向はある。しかし、痛みを抱えた他者の姿をあくまで真摯に見つめようとする意志が強く感じられる。突き刺さるような痛みを読んだ者にはっきりと与えてくれるという点で、伴風花は非常に力のある文体を作り出すことに成功している歌人である。

イチゴフェア―伴風花歌集

イチゴフェア―伴風花歌集