錦見映理子は1968年生まれ。聖心女子大学文学部卒業。1997年「開放区」に入会。1998年に「婚姻届」で第44回角川短歌賞最終候補。2003年に第1歌集「ガーデニア・ガーデン」を刊行した。現在は「未来」所属。
南下する前線 北上するエロス 口移さるる水こぼす午後
手を上げて腋下をさらす 祝祭の前夜くまなく奪わるるため
銃身のごとき一語をわれに埋め戻らざるひと 曇天の坂
蜜みちてゆくガーデニア・ガーデンを等圧線は取り囲み 雨
熱性の病見えざるままに身を冒しつくすをうっとりと待つ
ぬるい息外耳にふれてヴェルヴェット・ヴォイスの渦にしずむ薔薇園
みごもるという語あやうく避けながら水底を撃つ遊びをしたり
歌集のオープニング「庭園と熱病」からの引用である。エロス、性愛が一貫してテーマになっていることがわかる。自らの身体感覚をフルに稼働させて歌を詠むタイプといえるが、身体全体で感覚を受け止めるのではなく「口」「腋下」「外耳」などといったミクロな部分に極端なまでに感覚をズームアップしているのが特徴である。自己の身体に対するフェティシズムといえるのかもしれないが、身体を細切れにして感覚を研ぎ澄ませていくところは「解体」という構造への意識を思わせる。
鍵穴に差すときすこしふるえたりやがてみぞれとなる雲のいろ
飲食(おんじき)の最後にぬぐう白き布汚されてなお白鮮(あたら)しき
風葬のごとくしずかに白き花ながれて止まぬ園に逃れん
うたたねのあなたの足に射すひかり白蛇のようにゆっくりよぎる
いま死んでもいいと思える夜ありて異常に白き終電に乗る
のしかかる雲の下より噴き出づるさくらを白き炎と思う
歌集題のガーデニアとは白い花であるクチナシの意だという。解説の田中槐が指摘しているように歌集には「白」のイメージがあふれており、それはあまりに白すぎて行き先も自分の居場所も見失った「ホワイトアウト」の状態である。また、井上荒野の解説ではこの歌集の主人公像を「迷い込んできて、捕獲された少女」と捉えている。錦見にとって白とは迷いの色なのだ。歌集全体に満ちているふわふわ漠然とした不安感は、白を基調とした独特の色彩感覚によっている。
抱擁のための両腕待つときも鏡の奥に死後は潜めり
ふいに吹く熱風の中 鳴り止まぬ発車ベル、黒き密会の使者
身にひびく音叉の高きあけがたにゆるく薄羽ひろげはじめる
くりかえす出会いばかりがさみしくて回転木馬は電飾のなか
夕照は遠いぶらんこもう君をはなしてあげるゆるしてあげる
飴色の水をのみこむ夏がすぐそこに来ている血より濃い影
歌集は逆年順に並んでいるようであるが、歌集はじめの部分(つまり新しい作品)ほど非現実的でイメージ性の高い歌が多い。しかし歌集を通じてみると、後半よりも前半の反写実的なイメージのなかの方がより錦見の生の姿があらわれているように思える。「白」への強い関心は述べたが、他にも「魚」「蜜」「貝」など偏愛するモチーフのイメージがある。このように偏ったモチーフへの強いこだわりは、身体のパーツごとへの没入と近しい部分があるのかもしれない。身体だけではなく、コラージュ化されたイメージすらもばらばらに解体していこうとする。それは真っ白で何も見えない世界のなかを生き延びていくための必死の手探りなのだろう。