北川草子(きたがわ・そうこ)は1970年生まれで、2000年に若くして没している。早稲田大学第一文学部西洋史学科卒業。早稲田短歌会を経て「かばん」に入会し、1994年に「人魚」で第9回短歌現代新人賞佳作。また、早大児童文学研究会では北川想子の名前で童話の執筆もしていた。唯一の歌集「シチュー鍋の天使」は遺歌集として有志の手によって編まれ、2001年に刊行された。
作風は現代的な口語短歌であり、ファンタジックで童話的なモチーフを好む傾向にある。短歌を単なる定型詩ではなく、童話や児童詩の延長線上として意識していたのだろう。
きみのいない朝のしづけさ まなうらに人魚の失くした尾がひるがえる
おはようを言ってもくれない ワイシャツが寝まきがわりのアインシュタイン
シチュー鍋に背中を向けた瞬間に白い巻き毛の天使がこぼれる
ごらんあの天使は胸を病んでいてそれであんなに背がまるいんだ
S.P.はスモールピーナッツの略よわたしがあなたを守ってあげる
だれも見てなくてもきっと神さまが見ている手づかみの砂糖菓子
原っぱの原稿用紙カタツムリみたいなまるをつけてあげる
人魚や天使、神といったモチーフは超人間的なものの比喩ではなく、おそらくはそのままの存在だろう。ファンタジックな世界に生きながら、しかし傷つきやすい心と悲しみを背負っている。透明で澄んだ詩世界が、モチーフとうまく混じり合っている。
アトピーのくまのプーさん抱きしめて綿くずみたいにまるまって寝る
追伸にウソと書かれたブルーナの絵はがき臆病者のうさこ
お茶の水博士の柄のネクタイのラッピング待つあいだのら、ら、ら
クリストファー・ロビンの膝はすり切れてテナントだけがあかるい舗道
ぼくたちはジャックの子孫 豆の木のかなたの空がぼくらの大地だ
チャペックの園芸書を読む雪花は花よりも葉に似ているらしい
もうひとつの特徴は引用の多さだ。古今東西の童話や児童文学から借りてきたモチーフを多用する。しかしプーさんがアトピーだったり、わざわざSF作家ではなく園芸家としてのチャペックを引き合いに出してみたり、少しひねった使い方をする。文学への造詣の深さもあるのだろうが、自分がいつも他人とは少しねじれた位置にいるという孤独な実感に支えられた引用であるようにも思う。
いつかはねって淋しくわらうニッキだけ底にのこったドロップの缶
目にみえないものをたよりに生きていて改札口があんなにとおい
同じ年の美容師に髪をとかれつつ鏡に視線やれないでいる
おきまりのなんとかなるよがききたくて豆が煮えるまでのペシミスト
網膜の森をさまよう泣きウサギわたしいつから悲しいんだろ
ボルヴィックのふたをがりりと噛んでまたやっちゃったねとわらうくちびる
洗いすぎてちぢんだ青いカーディガン着たままつめたい星になるの
生きていることの悲しみと孤独。後読みになってしまうが、夭折の気配を確かに湛えている歌といえるかもしれない。北川の歌に「丸いもの」がたくさん出てくることはなんとも象徴的だ。それは生命を象徴する記号であり、終わりのない永遠をも寓意している。「つめたい星になるの」のように時折あらわれる結句の字足らずがぎりぎりまで涙を溜めているようなリズムを作り出している。この澄んだ孤独感が心に鋭く突き刺さってくるのは、人がみな自分の生に対して抱いている悲しみを普遍的なイメージでもって刺激してくるからであろう。