トナカイ語研究日誌

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穂村弘百首鑑賞・59

  耳たてる手術を終えし犬のごと歩みかゆかんかぜの六叉路
 第1歌集「シンジケート」から。「犬」と題された一連の最後の一首。「耳たてる手術」とは犬の断耳手術のことだろう。シェパードなど一部の犬種は、もともとは垂れ耳であるが外見的な精悍さを醸し出すために耳を切って立て耳にすることがある。あくまで人間の都合によるもので、犬にとっては特にメリットのない手術である(耳の炎症などを予防する効果があるという説もあるが)。「耳たてる手術を終えし犬のごと」という比喩は、自分自身の意志にかかわりなく、他者の都合によって外見を取り繕われた状況を示すものだろう。具体的には、就職活動でもするために髪を切ってスーツを着ているような状態かもしれない。
 穂村弘の歌に登場する「犬」は、純粋で無垢でそれゆえに思慮浅いものの象徴である。

  編んだ服着せられた犬に祝福を 雪の聖夜を転がるふたり

  蜂をのんで転がり回る犬よこの口と口とがぶつかる春を

 純粋だけど愚かで、つねに他者の都合に振り回される存在としての「犬」。その犬に自己を重ね合わせて「歩みかゆかん」と大げさに決意表明をしてみせている。「かぜの六叉路」という表現は、「風の交叉点」の歌を思い起こさせる。六叉路とはかなり多い。「かぜ」は冷たい北風であり、六つもの分かれ道がある道は、まだまだ迷いと希望が目の前に広がっていることの象徴だろう。
 この歌は、穂村の作品としては唯一といってもいい係り結びが使用されている。「歩みかゆかん」の「か」と「ゆかん」の関係がそれである。強調構文の一種であるが、この不自然な大仰さは根拠なき自信という印象を与えてくれる。自分の愚かさを予感しながら、根拠のない自信のみを胸に迷い多き道をずんずんと突き進んでゆく。ある意味悲壮な覚悟の歌ともいえるのである。