トナカイ語研究日誌

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現代歌人ファイルその46・小川真理子

 小川真理子は1970年生まれ。明治大学大学院文学研究科仏文学専攻修士課程修了。1994年に「心の花」に入会し、佐佐木幸綱に師事。2001年に「逃げ水のこゑ」で第44回短歌研究新人賞を受賞した。第一歌集「母音梯形(トゥラペーズ)」は2002年に発行。フランス語講師を生業としており、「母音梯形」とは《ある言語の母音を発音する際に、口をどのように開き舌をどこに置くかなどということを、一つの梯形で図示したもの》だという。

  Je(ジュ)といふ主語ざわめきて紫の燻るやうなアテネ・フランセ

  赴任する禿頭(とくとう)の男三人に実用仏語会話を教ふ

  原石をひとりひとりに渡しゆく初日は[i]という母音から

  生徒の名覚えきるまへにそれぞれの声の硬度を覚えてしまふ

  新しき黒板に映え如月の星座のやうな母音梯形

  君とゐて日本語の星空となるわが口蓋のプラネタリウム

  外国語学びはじむる楽しさは嘘をつくのが下手になること

 フランス語講師としての日常に題をとった作品である。歌人は「実景派」と「コトバ派」に分けられるような気がするが、小川は完全に「コトバ派」の人である。母音梯形を「星座のやう」と表現できるのは、言語というものに対して無限のロマンチシズムを抱いていることが見て取れる。小川の歌に出てくる「生徒」はどうやらフランスに赴任するサラリーマンが主らしく、たいがいが講師の小川より年上である。言語を教えるという行為に対する位相は、日本語講師であり同じ「心の花」所属の大口玲子に似ている部分があるが、言語にナショナリスティックなものを見出す大口に対し、小川にとって言語とは自己を広い世界へと開放する鍵である。深くて広い言語という小宇宙。そういう視点は文系人間のハートをなんともくすぐるものがある。

  わが部屋へ君が来る夏、木々の名を記しただけの地図を渡さう

  あほらしき渾名つけられはしやぎをりあつけらかんと好きと言ふため

  舌の上で紙風船が弾むんだ「ぽるとがる」つて言つてごらん

  「会ひたい」を解読せずに会ひにゆけ今会ひたいすぐ会ひたい

  なつかしい風景のせゐ「まだ好き」と朽ちかけの橋渡つてしまふ

  傷つけあふ言葉なき教本を持ち日常会話クラスへ向かふ

  夢にのみ逢へる人あり夢にこゑ伴ふすべを誰か教えよ

 しかし、言語を用いながら言語を超えたところにある感情の共鳴を信じ続ける、それが小川の短歌の特徴でもある。小川の歌う相聞歌は、いずれも「言葉」や「文字」でつながっている。木々の名を記しただけの地図という、地図の役割を果たさないものが持っている隠喩性は、それぞれ木々の名の中に潜んでいる。気持ちの共有を確認しあうように、表面的には無意味で内容の薄い言葉を交換する。それは、言葉を超越したところにある他者とのつながりを本当は心から求めているからなのだ。語学の教本に人を傷つけるような言葉は載らないし、載る必要もない。しかし真の人間的コミュニケーションとは、汚い言葉で傷つけあったりする先にあるのではないかという批判精神が歌には込められている。

  左目に斜視を患ふ少女期の自画像なべて横顔なりき

  みづからを解けぬ我は満月の運河にうかぶ一艘の舟

  ばらばらになつたわたしがもう一度かたちをなすまで抱いてゐて欲し

  DNAのらせんのリボンかけられてかつてこの身も世に贈られき

  われを消す呪文の聞こゆ会ふたびに痩せた痩せたと人は言ふなり

 言葉の小宇宙にロマンを抱きながら、本当は言葉を超えたつながりを欲しがっている。それは、「私」が「私」から解放されることがないという意識に端を欲しているように思える。「左目の斜視」は自分を縛ろうとする自分自身をもっとも端的に表している特徴なのかもしれない。DNAのらせん形をリボンに見立てるという卓抜な比喩は、自分を所有しているのは自分自身ではない、自分はあくまで何かに縛られて生きているという意識が裏側にあるようにも思える。

  後妻なることを忘れてしまふほど青き言葉で求婚されぬ

  「助けて(イルハウー・ニー)」まづ覚えむとする君とアラビア語との出遇ひさびしき

  出張の大きトランク閉ぢようと上(へ)に座る君少年めけり

  電話にて明日の予定を聞くたびに明日のことは分からぬといふ

  緑色わづかなる迷彩服よ人間だけが戦ぐ地なのか

  ひとつ屋根の下で暮せば紋白蝶(もんしろ)のやうにあなたに逢ひにはゆけず

  ふかぶかと今は愛さむ平和(たひらぎ)が戻らば君を憎んでしまふ

  ままごとに過ぎぬ我らか皿ばかり増えて家族が増えてゆかない
 圧巻ともいえるのは、結婚生活を描いた歌である。ささやかな幸福、取材でパキスタンアフガニスタンの戦場に赴く報道マンの夫の姿、少しずつ生まれてゆく心のすれ違い。パワフルで無邪気な性格であろうことが想像される夫のキャラクターが非常によく活写されている。アラビア語との出遇いが「助けて」というのはただただ苦笑するしかない。しかしそれ以上に印象的なのは少しずつ心が離れてゆく自分を、ときに胸が詰まるような苦しさをもって、ときに冷ややかに、ゆっくりと描いていることである。自身の感情をここまで冷静に把握できるのは驚きであるが、女性はみなそういうものなのかもしれない。愛が生まれてゆく様子と、目減りしてゆく様子。その両方の揺れる心理がたくみに描かれているというのが「母音梯形」という歌集の大きな特色であろう。