トナカイ語研究日誌

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穂村弘百首鑑賞・45

  ボールボーイの肩を叩いて教えよう自由の女神のスリーサイズを

 第1歌集「シンジケート」から。アメリカ型大量消費社会への憧憬が「シンジケート」という歌集の特徴である。その中でも「自由の女神」というのはアメリカを象徴するものとしてはかなり直球の修辞であろう。
 掲出歌は「自由の女神」に加えてボールボーイ=野球という同様にアメリカ的なモチーフを重ねている。自由の女神のスリーサイズを意識するということは、自由の象徴たる「女神」をただの「女性」の位相にまで引きずりおろしているということである。自由の女神がただの女神ではなく「自由と解放」の象徴であるように、実際の女性もまた皆平等にスリーサイズは持っているだろうが、それ以上に尊重すべき個性というものがあるだろう。たとえば発想を逆転させてみるというような進歩的な転換ではなく、単に他者を低レベルな位置へと引きずり落とすことで新しい世界を見ようとする。そしてそれを、おそらくは年少のものの象徴であるボールボーイに無理やり聞かせて拡散させようとする。このような発想から読み取れるのは、アメリカへの憧憬というもの以上に日本的価値観への懐疑があるように思える。自由の女神からあらゆる属性をはぎ取ってただの女の像としてしまうように、他のすべての点を無視して一つの属性だけをあげつらい卑近なレベルへと持ってくる。日本がアメリカに対して抱いてきた感情とはえてしてそういうものだったのではないかというささやかな批判がこの歌の軽い歌い口には込められているように思える。

  知ってるか? 自由の女神は10$でどんなことでもさせる女さ

 自由の女神をモチーフとした歌ではこんなものもある。こちらはさらに過激というか、より自由の女神をただの女としてしまっている。自由の女神はすなわちアメリカの象徴であり、消費主義の象徴でもある。安い金でどんなことでもするという嘲笑の対象は、一見自由の女神アメリカであるように思える。しかし本当に穂村が指弾したかったのは、平然とこういうことを言い放てる日本的価値観であったのかもしれない。