トナカイ語研究日誌

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穂村弘百首鑑賞・42

  立ち読みの『アリス』の版数確かめていたら真夏が笑って死んだ
 エッセイ「もうおうちへかえりましょう」に収録されている一首。「高い本を買うとき」という古本をめぐるエッセイの末尾に付されている。貴重な古書について書かれた文章に付されるにふさわしい歌だろう。この歌における「アリス」とは一体どんな本だろうか。普通に考えれば「不思議の国のアリス」であろうが、古本エッセイのあとで読むともっと貴重な本なのではないかとも思えてくる。
 版数を確かめるという行動は、作中主体がそれなりに出版事情について知っているからできることであろう。もし初版だったりしたらとても貴重な本だ。自分はひょっとしたらものすごい宝物を手にしているのかもしれない。そういうドキドキ感を胸に秘めながら最後のページを繰るのであろう。そうしていたら真夏が「笑って死んだ」。これはかなりインパクトの強い言葉である。夏が「笑って死んだ」というのは単に夏が終わって秋を迎えたというだけではないように思える。笑って死ぬという現象には、甘い切なさと同時に狂気めいたイメージが付きまとう。『アリス』という言葉がもつイメージもその効果を高めてくれる。
 穂村弘はエッセイの中でも書かれているように、マニアックな古書を高価で買うようなビブリオマニアらしい。そんな人間にとって書店はある種の聖域であり、独特の魔力をもった場所だ。夏の終わりという不思議な季節に『アリス』を立ち読みしていたらいつの間にか迷い込んでしまったアリス的な不思議空間。日常の中にファンタジーを広げていくレトリックが十二分に生かされている歌である。