トナカイ語研究日誌

歌人山田航のブログです。公式サイトはこちら。https://yamadawataru.jimdo.com/

短歌往来8月号「ネット社会の新人たち」

短歌往来(ながらみ書房)8月号の特集は「ネット社会の新人たち」。15人が参加し、平均年齢は27.7歳。まさにフレッシュな若手歌人が揃った企画となった。どこがネット社会っぽいのかはいまいちわからないけど。

  ゐるだけで絵になるといふ感想をけやきにも友だちにも持てり  石川美南

  十月に長い休暇を取るのだとあなたの著者があなたに言はす

  アルバート、呼び名はバート 薄茶けた上着一枚きりの友だち


  まぶたからまぶたへ渡す冬の日の凍り付いてるすてきな光  堂園昌彦

  目覚めればやがて夕凪、夕凪の後に貰いに行く飾り箱

  感情がひとりのものであることをやめない春の遠い水炊き


  ぢやあ今度、追ひ追ひ決めるといふ結論ふたりずずずとコーラ飲み干す  野口あや子

  「世を違へ生まれてきたる憂鬱な覇王」の眉に剃るのはやめよ

  精神を残して全部あげたからわたしのことはさん付けで呼べ


  君といて色んなテレビが面白い ゆっくり坂を上から下へ  永井祐

  歩くことで視界が揺れる なんとなく手に取ってみたニューズウィーク

  夕方の都民銀行緑色 ウの付くものをおみやげにする


  あのおとこのうで
  さかなやで買いたいな
  だいてかえって へやにおきます  今橋愛


  元夫はあまりにさびしいからねこをかおうとして でもやめたっていう


  いつもよりていねいにけしょうすいつけていくとき
  わたしひろがっている


  ドバイよドバイ「ほうらいわんこっちゃない」ともう何ヶ国語で言われたか  齋藤芳生

  踊り子が手を取りあいて帰りゆく仕事を終えし髪を束ねて

  疲れた君がひたすら海をみるための小さな白い椅子でありたい


  前世王冠職人たりし証なくまた然らざる証も持たず  光森裕樹

  いつの日か吾が王冠をつくるため匙ひとさじと黄金(きん)をくすねる

  六月のケンタウルス座があらはさぬ黄金(きん)の馬脚を吾がものとして


  雨の日は雨ばかり見る表情のない生き物だって珈琲をのむ  谷川由里子

  会いたいと思う休日寝そべって木漏れ日の水玉きもちいい

  楽しそうな人生らしい電線の五線譜にいま引っかかる月


  悲しみが湧出しては埋めつくす茶の芽を摘めば少うし香る  五島諭

  この草は青菅だろう寒菅にくらべてつよく鋭い葉先

  手のひらにいくつ乗せても楽しいよ茄子のかたちをした醤油挿し


  怪獣は横断歩道へ逃げ出しておやすみ一緒に幸福しよう  平岡直子

  朝飲むとこの味噌汁は完璧に海の匂いがするねときみは

  弟の青アザ抱いて水仙の揺れる静かな窓を見ている


  肉片と火と血と赤いクーピーで白地図の砂漠を塗り潰す  屋良健一郎

  スキップとつくり笑顔をやめた途端、底なし沼に沈んじゃいそう

  さみしさの飽和の果てにぷくうっと海が朝日を吐き出している


  君はいま泣かねばならぬ 今すぐにレイン・コオトを脱がねばならぬ  田口綾子

  あぢさゐの揺るるをうつすみづたまりきみがすてたるたましひならむ

  きみは象になつてしまへり春の雨あゆめる象になつてしまへり


  掌の林檎を爪弾くたびごとに銀漢の星々は蒼い震えを放つ  海北昂

  楽をして眠りを手に入れたいだけさ……自分が誰なのかも忘れたまま――

  鈴懸の冬の裸形は眼球を夜空に曝す神経の束


  耳たぶを熱く突き刺す画鋲のごと破瓜の記憶がピアスに宿る  大里真弓

  羽がない私は空を飛べません 飛んだあの子は今も十七

  留年か進級できるか三月のダイスころがす若き賭博師


  三月があなたを父へと変えてゆく 招待状は破かず捨てる  多田百合香

  このひとの一人称が定まってあじさいが青く変わりゆくまで

  仮に仮に仮にあなたが電灯で、それでもなんにも起こらなかった

 最年長は1969年生まれの海北、最年少は1987年生まれの野口である。15人中20代は10人。まず目を引くのは野口あや子と田口綾子が旧仮名になっていること。ともに短歌研究新人賞受賞者だが、受賞作では新仮名だった(そういえばこの二人の間の受賞者である吉岡太朗がいないな)。新仮名から旧仮名への移行というのはかなり大きな変革でありこの二人の内面に何かしらの変化があったと思われる。野口は「風通し」の連作あたりから意図的に尊大なキャラクターを演じることでユーモアを醸し出すような歌が散見されるようになり、今回も「わたしのことはさん付けで呼べ」などには思わず吹き出してしまった。田口は旧仮名のみならず古典調の文語体へと移行している。本人としてはむしろこちらの方がもともとなじみ深い文体だったのかもしれない。
 堂園昌彦、五島諭、永井祐と早稲田短歌トリオも参加している。堂園は「冬」と「光」が似合う歌人である。どの歌も一定のトーンを保っており、心地よい寒さのある澄んだ美しさに満ちている。歌以前に作者の内面世界がしっかりと構築されていて、歌はその世界観に奉仕するために生まれてきているかのようだ。五島の歌は堂園と修辞のセンスが近いところがあるが、より現実的でざらっとした手触りと、吉川宏志を思わせる渋みがある。永井の歌は「なんとなく」というふにゃふにゃした捉えどころのない感覚が現代のアーバンライフと符号しており、内面ではなくむしろ〈私〉の外部に完成された世界を構築している。
 光森裕樹は昨年度の角川短歌賞受賞者。受賞以後歌を作れば作るほどうまくなっていっているのが驚異である。「王冠」と「黄金」のメタファーにより古代社会と最先端のIT社会を重ね合わせる構成力が見事。ある意味「ネット社会の新人」に最もふさわしい歌人である。1986年生まれの多田百合香は、少女期をゆっくり終えて成熟していく過程が修辞の成熟と重なっているかのようで実に面白い作風に仕上がっている。新人賞出身ではない初顔の新人の中では今回もっとも印象的であった。