トナカイ語研究日誌

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穂村弘百首鑑賞・30

  ゆめのなかの母は若くてわたくしは炬燵の中の火星探検
 「短歌」2006年1月号『火星探検』から。この一連は母への挽歌であり、穂村弘という歌人の大きなターニングポイントになった作品である。おそらく次に刊行される歌集のハイライトになることと思う。穂村のエッセイを読んでみても、母への依存度が高い自分の姿が描かれている。なにしろ、ゴミをゴミ箱の方向へと投げるだけで母が片付けてくれるような家庭だったというし。そんなわけだから、母は非常に大きな存在だったのだろう。近年の穂村作品にみられるややグロテスクなノスタルジー路線も、この連作から始まっているともいえる。
 「火星探検」とはすなわち、炬燵の中に潜り込んで遊んでいる幼少時の自分の姿である。炬燵の赤外線によってすべてが真っ赤に染まって見える世界がまるで火星のように思えた。それは子供のころにしか見ることのできなった世界であろう。

  母の顔を囲んだアイスクリームらが天使にかわる炎のなかで

  髪の毛をととのえながら歩きだす朱肉のような地面の上を
 「火星」だけではなく、「炎」や「朱肉」といった赤のイメージを持つ言葉が氾濫する。これは火葬のイメージにつなげているのである。現実感を失ったふわふわした感覚の喩として「朱肉のような地面」というのは素晴らしいリアリティをもっている。穂村の計算されつくした技巧が冴え、一連の世界全体が確実に炎のイメージへと向かってゆく。
 幼少時の「わたくし」が炬燵の中の「火星探検」というごっこ遊びに興じていられたのは、母という偉大なる庇護者の存在があったからだろう。母の存在がが「ゆめ」となって消失した現実の前でふらふらと歩き続ける穂村は、やがて自分が育ってきた昭和という時代を清算するべく少しねじれたノスタルジーを追及するようになる。それは失われた自分自身を探し求める旅なのかもしれない。