トナカイ語研究日誌

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渡辺玄英「けるけるとケータイが鳴く」

無数はどこに行くのか  渡辺玄英


出口のない海』という映画で
若者たちは爆弾になって消えていった
ショーワ二十年の海にはどこにも出口がなくて
まばたきして六十年すぎると
そこには漂白されたスクリーンがひろがり
ぼくらには海がない


そーりが靖国を参拝すると
冥王星はしずかに黙礼して消えていった
見たことのない星がひとつ消えて
見たことのない海が消えて
見たことのない国や民族が消えて
見たことのない会社や学校が消えて
(人だってふいに消える
ホントは見えているものも疑わしい
消えている 消えていて
残されたボクらはケータイだけ握りしめて
(ここってどこ?
ここにいる(なんだかわからないけど
ぼくらはバラバラだ ぼくらはつながりたい
ぼくたちは一人だ ぼくたちはムスーだ
ムスーのボクはどこにも行けない
TVの男はいつもきれいな言葉をくれる
二十四時間だったら優しくなれますか?
だれかボクにセカイをください
ケータイに電波が着信すると
マリオネットのように人が立ち上がる
ほんのすこし力を与えられて

 渡辺玄英詩集「けるけるとケータイが鳴く」(2008年)を読んだ。この詩集は主に時事問題を題材とした機会詩を集めた詩集で、たとえば上の「無数はどこに行くのか」は若者・靖国小泉政権を題にとっている。
 渡辺玄英は私の大好きな現代詩人のひとりだ。名前を知ったきっかけは恥ずかしながら詩の雑誌などではなく「クイックジャパン」だった。サブカルチャーに非常に親和的な作風であり、ガンダムエヴァの影響がみられる。と書くと若い詩人に思えるが、実際は1960年生まれでもういい年齢の新人類世代である。軍需産業に携わる中小企業経営者が本業というプロフィールだけから見ると現代の若者からもっとも遠い位置にある人に思えてしまうが、ひたすら素直に「不安」を独白し続ける彼の詩はとても若い世代の心に訴えかけてくるものがある。「セカイ」というカタカナ表記は「セカイ系」を意識したものだし、ケータイ(携帯電話ではなく、あくまでケータイ)がモチーフとして頻繁に登場するのも、現代における自我のありようをもっとも端的に表しているアイテムだからだろう。
 上の詩では、「見たことのない星がひとつ消えて〜」以降のくだりが圧巻で、心臓を直撃した。こういう感覚を味わえるから詩を読むのはやめられない。現代人が抱えているやりきれないくらいの「出口なし」感覚が、ポップな詩的感覚で処理されている。詩集「火曜日になったら戦争に行く」(2005)は、穂村弘の「手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)」との共通項がいくつかあるのが注目される。広く読まれるべき詩人であると思う。