トナカイ語研究日誌

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現代歌人ファイルその24・紀野恵

 紀野恵は1965年生まれ。「未来」「七曜」所属。早稲田大学第一文学部卒業。1982年に第28回角川短歌賞次席、1983年に第26回短歌研究新人賞次席。当時の紀野はまだ高校生で、衝撃的な歌壇デビューであった。というのも紀野の作風は王朝和歌を思わせる典雅なものであり、熟達したベテランの作品にしか見えなかったからである。古典的な修辞を駆使した少女歌人の誕生は大きなインパクトであったことだろうと思う。

  晩冬の東海道は薄明りして海に添ひをらむ かへらな

  黄金(きん)のみづ歌はさやかにしづめども吾こそ浮きてささやさやさや

  ふらんすの真中に咲ける白百合の花粉に荷風氏はくしやみする

  愛妻家の古学者が来てこのゆふべよくも出鱈目が書けるな、といふ 
 舌を巻くような技巧的な歌である。しかし、大事な点は決して先祖返りの古典趣味ではないことだ。王朝和歌を無闇に理想化して真似ているわけではなく、古典を摂取したうえで現代的な感性を表現しようとしている。それはたとえば韻律の音楽性である。日本古来の古楽的リズムというよりも、西洋的なスタイリッシュな韻律感覚に覆われている。紀野が水原紫苑らとともに「新古典派」と称される所以である。しかし、このような「新古典派」の韻律感覚に先鞭をつけたと思える歌人がいる。山中智恵子である。

  さやさやと竹の葉の鳴る星肆(ほしくら)にきみいまさねば誰に告げむか  山中智恵子

  月のしづくは葡萄のしづく夏の夜のアレキサンドリア一顆のしづく

  ひつたりと胸をあはせてあるときのことばよかへれきみ孵すまで

  つゆくさよつゆのいのちよゆめよりもそのそらいろのかなしかりけり
 古典和歌の修辞を自在に使いこなしながらも、モダンな韻律感覚に貫かれた歌である。それゆえに完全な和歌調の歌であるにも関わらずどこか異国めいたエキゾティシズムがある。紀野の韻律感覚も、おそらくは山中の影響下にあると思われる。しかし次のような歌を読んだとき、紀野が追求するのは純粋に音楽としての短歌なのではないかという思いを強くする。その点において、紀野は先人から一歩先に進んでいる。

  ゆめにあふひとのまなじりわたくしがゆめよりほかの何であらうか

  不逢恋(あはぬこひ)逢恋(あふこひ)逢不逢恋(あふてあはぬこひ)ゆめゆめわれをゆめな忘れそ

  ふらんす野武蔵野つは野紫野あしたのゆめのゆふぐれのあめ

  ふと翳るむらさき河のみづのおと去年も今年も果てなの春ぢや
 うっとりするような流麗なリズムであり、高らかに朗詠したくなる誘惑に駆られてしまう歌である。特に1首目は、韻律の美という点においては現代短歌の頂点といえるのではないかと思っている。「ゆめ」という語が目立つが、紀野が志向しているのが音楽性であり、またこの世とは別の場所にある「ゆめ」の世界の美であるということが端的に表わされているのだろう。紀野は「王国の歌人」であり、〈私〉の中に構築された異世界の美しさを表現しようとしているのだ。その世界は美しい音楽が風のように常に流れており、美しい自然に覆われているのである。

  いさ五月風はあへぎのもえぎいろ萌えたつやうな詩集を空へ

  汝がゆめが汝がまぼろしを生きやうよ朽ちてゆく夏帽子のやうに

  色あせし去年の菜の花ひとひらのそればかりなるわが早春賦

  争乱の日の肖像を二、三枚偽造してふかく胸中にしづむ

  両腕に虹の残照をひそませて立つところより海は始まる

 そんな「紀野王国」の一風景には、このような寺山修司を思わせる清新な青春歌もある。老成的な古典的作風を持ち味とする歌人にも、やはり理想的風景としての青春時代像を胸にしまっていたようである。