トナカイ語研究日誌

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穂村弘百首鑑賞・21

  なきながら跳んだ海豚はまっ青な空に頭突きをくらわすつもり

 第1歌集「シンジケート」から。初期の穂村作品にしては比較的珍しいつくりといえる歌だろう。おそらくは屋外のイルカショーの叙景なのだろうが、そこから海豚のかなしみに思いをはせてどうしようもない苛立ちを「空に頭突きをくらわせている」と見立ててみたのだろう。こういう見立ての歌というのは穂村はそれほど多くはないが、決して下手なわけではない。この歌は「スイマー」という海やプールにこだわった一連に置かれている。穂村にとって「泳ぐ」という行為に込められているものの位相が伝わってくる。

  夏みかん賭けた競泳(レース)は放射状にひびの入ったゴーグルかけて

  バタフライ・ドルフィン・キックで切ってゆく水と光のバウムクーヘン
 泳ぐ=夏=追憶というイメージが覆いかぶさっているわけだが、たとえば掲出歌は必ずしも追憶の風景とは言い切れない。逆行を浴びて跳ぶ海豚の姿の鮮やかさに眼目がある。「頭突きをくらわす」というのは、やりきれない悲しみのぶつけ方が「頭突き」というかたちをとっているわけで、どこか幼さを感じさせる。夏という季節の鮮烈さを強く印象付けるのに「頭突き」という言葉は不可欠だとさえ思える。
 「ドルフィン・キック」の歌もまた海豚のイメージをかぶせており、また光と水のきらきらとした渦巻きをバウムクーヘンに喩えるところに妙味がある。掲出歌にしても「ドルフィン・キック」の歌にしても一瞬の情景を切り取った絵画的な歌であり、光と影のコントラストに満ちた歌でもある。消費社会におけるどこか現実から遊離した世界の物語を紡いだのが「シンジケート」という歌集のすばらしいところなのだが、その中にはこういった絵画的な歌もまた脇を支えているのである。「かばん」の源流である前田夕暮を想起させうる歌といえる。