トナカイ語研究日誌

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三好達治「測量船・艸千里」

春の岬


春の岬旅のをはりの鷗どり
浮きつつ遠くなりにけるかも

 三好達治の詩集「測量船・艸千里」を読む。叙情的な作風で有名な詩人である。ボードレールの全訳を手がけるなどフランス詩が専門の人だが、短歌・俳句にもかなり造詣が深い。「日まはり」という歌集も一冊出している。上にあげた詩『春の岬』は「測量船」冒頭の一作だが、どこからどう見ても短歌の定型になっている。しかしタイトルが付されて詩集の中に置かれているということは三好はこれを短歌ではなく二行の詩とみなしていることになる。短歌と詩の境界線って何なんだろうと考えさせられる一篇である。 

Enfance Finie


 海の遠くに島が……、雨に椿の花が堕ちた。鳥籠に春が、春が鳥のゐない鳥籠に。
   
   約束はみんな壊れたね。


   海には雲が、ね、雲には地球が、映つてゐるね。


   空には階段があるね。


 今日記憶の旗が落ちて、大きな川のやうに、私は人と訣れよう。床に私の足跡が、足跡に微かな塵が……、ああ哀れな私よ。


  僕は、さあ僕よ、僕は遠い旅に出ようね。

 感傷的で甘美な口語詩の世界。「ああ哀れな私よ」なんて甘ったるいナルシシズムがかえって心地よいくらいだ。タイトルの意は「過ぎ去った幼年期」。幼年時代と訣別して長く遠い旅に出るのである。「約束はみんな壊れたね」。ただそれだけの一行がこんなにも心を締め付ける。詩とは何かという命題は、この一篇をもって回答とされうるだろう。

日まはり


橋の袂の日まはり
床屋の裏の日まはり
水車小屋の日まはり
交番の陰の日まはり
頽(くず)れた築地(ついじ)の上に聳える
路ばたの墓地の日まはり
丘の上の洒落た一つ家
そのまた上の 女学校の 寄宿舎の
庭の日まはり
ああ日まはり
日まはり
それは旺(さか)んな季節の洪水
七月 この海辺の町を不意打して
この小さな町をとりかこみ 占領し
彼らの真昼の凱歌をうたふ
日まはり
日まはり
彼方(かなた)町はづれの踏切にも
此方(こなた)天守の崩れた城址(しろあと)にも
ここかしこ 到るところに
今一ひらの雲もない青空をささげて咲いた日まはり
日まはり
若き日のわが夢のかずかず
…………………………
しかはあれその花の一輪にだも
今日の日のわれが望みはしかざるなり
げにその花の一輪にだも
海の音彼方に高き日ざかりを
いまこの町をゆきゆきて
なほその花の下陰にわれは立つとも

 素晴らしい詩である。この詩もまた、「若き日のわが夢のかずかず」という屹立した一行が詩を決定づけている。実に様々な向日葵が描写されるわけだが、それらはみなすべて「若き日のわが夢のかずかず」の象徴なのである。逆に考えれば、すべての描写はたった一行のために奉仕されているといってもいい。一行の力が物凄い強度を持った詩人。それが三好達治なのだ。