安藤美保は1967年生まれ。お茶の水女子大学文教育学部国文学科卒業。1987年に「心の花」に入会し、1989年には「モザイク」で「心の花」連作20首特等第一席に選ばれた。大学院修士課程在学中だった1991年に、研修旅行中の比叡山にて転落事故死した。24歳だった。1992年に遺歌集「水の粒子」が発行され、同作は第1回ながらみ書房出版賞特別賞を受けた。
24歳で人生を閉じた安藤の歌は、時間が凍結されたかのような瑞々しい青春歌のまま保存されている。
君の眼に見られいるとき私はこまかき水の粒子に還る
誰からも逃れたき思い抱く図書室の窓に若葉揺れいる
花びらがほぐれるように遠ざかる幼なじみの少女六人
たちまちに胸の高さに水満ちてとまどうように君はほほえむ
歌集の題にもとられた1首目は、「水の粒子に還る」というさわやかな身体感覚が印象的である。3首目は「3人で傘もささずに歩いてる いつかばらけることを知ってる」(加藤千恵)を連想させる。ある種普遍的な「少女感覚」の歌なのかもしれない。
一斉に飛び立ちたいと告げるごとく坂の途中に群れる自転車
肩ならべ君とゆくときよく笑う少女となっている我を知る
明日のこと見えすぎている室内にのっぺらぼうと干してあるシャツ
生々しく脱皮したいと願ってる百対の脚がはねる校庭
これらの歌に満ちている自己不全感は、思春期の苦悩を経験した人間はみなシンパシーを感じるのではなかろうか。「飛び立ちたい」「脱皮したい」という思いは、すなわち「新しい自分に生まれ変わりたい」という思いであるようにみえる。
その一方で、「現代短歌の全景 男たちのうた」(1995)にて山下雅人は安藤の歌をこう評している。「何もかも見え過ぎてしまうこの世界から、いったん身を隠してしまいたい―という無意識の希求が、彼女の内面になかったとはいえまい」。自己の変革ではなく、自己の隠匿。世界のあり方に鋭敏すぎたがゆえに、自分の行く末が見えてしまう。だからこそ、「顔」を覆い隠すことを求めた。「飛ぶ」「脱皮する」ことは自由を得ることではなく、むしろ仮面を被ることなのかもしれない。「よく笑う少女」となった自分を客観視することもまた、仮面を被ろうとする自分を直截に見つめているのだろう。
寒天質に閉じ込められた吾を包む駅ビル四階喫茶室光る
背に近くはばたきてよりひったりと黄をとじ合わせ一人にかえる
そして誰もいなくなった座席には鋏で切り刻まれた春の陽
チューブから絞りだされたさみどりの意識となりて夜の町に出ず
「閉じ込められる」「とじ合わす」「切り刻まれる」「絞りだされる」…。これらの動詞によって表現される身体感覚は、決して自分が自由になりえないことを知っているかのようだ。どこまでいっても自分は誰かに守られている。もちろんそれは喜ばしいことでもある。しかし、「世界」に対峙している自分の限界をも伝えてくれているのだ。そのような澄んだ絶望が、安藤の歌にあらわれている透明な悲しみを形作っているように思えるのである。
さて、今回安藤美保という夭折歌人を取り上げたのは、もちろん笹井宏之の死を意識してのことである。
朝の蝉 安藤美保の事故死せし比叡の見ゆる街に暮らしつ 吉川宏志
1969年生まれの吉川宏志の歌である。将来を嘱望された同世代歌人の早逝は、かなりのショックだったことと思う。私たちの世代が笹井宏之を忘れてほしくないと願うのと同じくらいに、吉川は安藤美保を忘れてほしくないと思っているに違いない。