トナカイ語研究日誌

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現代歌人ファイルその18・松野志保

 松野志保は1973年生まれ。東京大学文学部卒業。1993年に「月光」に入会し、福島泰樹に師事。2000年、「永久記憶装置」で第43回短歌研究新人賞候補。2003年からは歌誌「Es」にも参加している。「モイラの裔」「Too Young to Die」の2冊の歌集がある。
 松野の短歌に対する姿勢はこれ以上ないまでに一貫している。「やおい」の美学を短歌に持ち込むことである。松野自身ボーイズラブを愛する「腐女子」であることを公言しており、美少年同士の耽美な恋愛を短歌詩形の中に積極的に持ち込もうとしている。

  半欠けの氷砂糖を口うつす刹那互いの眼の中に棲む

  兄の名を呼べば真冬の稜線を越えてかえらぬ奔馬と思う

  雑踏を見おろす真昼 銃架ともなり得る君の肩にもたれて

  ぼくは雨 君の外側を流れ落ち皮膚に染みいることも叶わぬ

  生殖とかかわりのない愛なども容れてどこへもゆかぬ方舟

 「ぼく」という一人称を好んで使用する松野の歌から聞こえてくるのは、凛と澄んだアルトの高らかな詠唱である。繊細な「ぼく」とどこか暴力の世界に棲む気配を持つ「君」との間に犯される禁忌は、破滅的な美しさを湛えている。これは「やおい」の中でもとりわけ「JUNE」に代表されるような、あるいは松野がファンだという萩尾望都が描くような世界観である。

  少年は少年とねむるうす青き水仙の葉のごとくならびて  葛原妙子

  湯を浴ぶる少年ふたり月明に相似の裸身恥ぢにけらしも

 女性の描く耽美で幻想的な少年愛の世界というモチーフは、葛原妙子に先んじてみられる。葛原は塚本邦雄に「幻視の女王」と称された、女性の前衛歌人の代表的存在である。松野自身も葛原を少なからず意識しているだろう。しかし松野の場合「やおい」というサブカルチャーの世界において既に完成され洗練された美学を短歌の器に流し込もうとしている点が特徴的である。

  好きな色は青と緑と言うぼくを裏切るように真夏の生理

  もしぼくが男だったらためらわずに凭れた君の肩であろうか

 これらの歌はむしろトランスジェンダーの香りがするものであり、性の未決定期の終焉が綴られている。しかしここで松野が訴えかけようとしているのはセクシャルマイノリティの苦しみといったような社会的なものではない。思春期以前の性の未決定期という、時間的に閉じられた世界のなかにある恋愛の美しさである。

  戒厳令を報じる紙面に包まれてダリアようこそぼくらの部屋へ

  さらばとはついに言わない唇よ紅ひくまでもなく赤ければ

  たやすくは抱き合うものか鉢植えの蔦を愛してたかが百年

  国ひとつ潰えゆく夏 兵士ではなく男娼として見届ける
  ぼくたちが神の似姿であるための化粧、刺青、ピアス、傷痕 
 しかし松野の歌は決して閉じた美学に支配された世界ではない。「やおい」の美学もまた国家や社会のなかに囚われざるをえないという視座をも持っている。パレスチナを舞台にレジスタンス少年二人のドラマを描いたとおぼしき連作「二重夏時間」や「国ひとつ潰えゆく夏」といった表現には、国家的・社会的規範といったものが性的モラルと同様、「美」の前に乗り越えられてゆくべきものなのだという強い批判精神が込められているのである。