トナカイ語研究日誌

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穂村弘百首鑑賞・3

  眼をとじて耳をふさいで金星がどれだかわかったら舌で指せ
 第二歌集「ドライドライアイス」(1993)から。穂村弘の歌にはしばしば、ライトなサディズムを思わせる描写が出てきます。掲出歌のように、女性の視覚と聴覚を遮断して舌で金星を指させようとするという行為には、悪ふざけやいたずらのような行動で相手を自分の手の内に弄ぼうとする嗜虐めいた要素があります。それはもちろんエロスを内包しており、少しねじれた性嗜好へのどきどきするような背徳感をも喚起してくれるのです。

  朝の陽にまみれてみえなくなりそうなおまえを足で起こす日曜
  後ろ手に縛ったおまえの瞳をみれば 潜水艦に満ちる音楽
  こんなめにきみを会わせる人間は、ぼくのほかにはありはしないよ

 これらの歌にも似た部分があります。気心の知れた恋人を足で踏んで起こすことと、後ろ手に縛ることとでは表面的な暴力性ではずいぶんと違いがあります。しかし基本的に共通しているのは「こころを支配してしまいたい」という思いでしょう。愛情であっても憎悪であっても構わない。相手が自分に抱いている感情を自分の手でコントロールしたい。そういう思いです。「眼をとじて耳をふさいで」という行為は、情報をシャットダウンして純粋に相手を自分の支配下に置くことを表していますし、「金星を舌で指せ」という指令はその支配が性的なものであることの暗喩です。
 実際のところ他者をこころまで支配してしまえるなんていうのは幻想といっていいでしょう。そんな夢見がちな欲望を抱くところに、穂村の歌が「幼児的全能感の肥大化」といわれる所以があるのかもしれません。しかし、相手の視覚聴覚を奪ってなおも命令をしようとする姿には、ねじれたコミュニケーションを希求する己の孤独をクールに反照しようという意図があるようにも思えるのです。