トナカイ語研究日誌

歌人山田航のブログです。公式サイトはこちら。https://yamadawataru.jimdo.com/

理想的な時事詠とは

  偶像の破壊のあとの空洞がたぶん僕らの偶像だろう  松木
 この歌はタリバーンによるバーミヤンの仏像破壊をモチーフにした時事詠です。しかし現代日本のやりきれない閉塞感を見事なまでに表現しており、個別的な事件をテーマにしているにもかかわらず普遍的な叙情を表現することに成功しています。時事詠をつくるにあたっては、どうしても何らかのメディアを介しての情報をもとにするしかないという限界があります。理想的な時事詠は、自己と事件のあいだの間隙を何らかの叙情にて埋めたものでしょう。たとえば、作者自身の卑近な実感だったり、作者の奔放な想像力であったりします。

  あなたは勝つものと思つてゐましたかと老いたる妻のさびしげに言ふ  土岐善麿
 有名な歌ですが、戦争がリアルであった時代の感覚が手に取るように伝わってきます。「老いたる妻」は実際に戦地に赴いたわけではないでしょう。しかしメディアを介しての大本営発表を聞く一方で知人や親戚の戦死の話も聞き、戦時下ゆえの貧窮も味わったことでしょう。本当は勝つとは思っていなかったけれど、大本営発表を聞きながら必死で生き抜くしかなかったという人間像は、実際に戦地に赴いた人間の言葉よりも、現代においてはリアルなのかもしれません。

  ひきよせて寄り添ふごとく刺ししかば声も立てなくくずをれて伏す  宮柊二
 人を殺したという経験を丹念に客観的に描くことで、逆にドラマチックな印象を与えているこの歌とは好対照といえるかもしれません。柊二にとっての戦争体験はもはや人生の一部であり、戦争と自己のあいだに何の間隙もなかった。善麿の「時事詠」と柊二の「戦争詠」を分け隔てているものはそこなのでしょう。善麿は敗戦というリアルな事件と妻が人生そのものに感じている深いかなしみとの間隙を、妻の言葉でもって埋めなくてはならなかったのです。

  碧空をうけいれてきただけなのに異形のひととしてそこにいる 江戸雪
  色褪せたピンク・レディーのポスターが少女の帰りを待っている部屋  笹公人
  横田さんが父ならばいいと思った日甘い唯一の実感として  小川佳世子
 いずれも北朝鮮拉致事件をテーマにしている歌です。しかし江戸の歌は前もって説明がなければまったくそうとはわかりません。社会への違和を淡く切り取った歌のように思えます。真のテーマがわかれば、「異形のひと」が持つ言葉の恐ろしさがわかります。この「異形のひと」は何らかの理由により祖国から切り離されてしまったような人全体の比喩にも捉えられます。笹の歌は、少女が拉致された時代がピンク・レディーの絶頂期だったことに目をつけ、「時間が止まってしまった部屋」を空想したもの。想像力が事件と<私>との間隙を埋めた典型的な例です。小川の歌はものすごく素朴な実感を歌ったものですが、じゃあ自分がめぐみさんの立場でいられるかという想像をあえてシャットアウトしているところが真に問題をリアルに捉えられてはいない「甘い」実感なのであり、メディアを介してしか横田さんの人間像を理解しえない(=間隙を埋められない)ことへの自己批判が込められています。同じ事件を題材にしてもその切り取り方は千差万別。ただひとついえるのは、事件と<私>の隙間を埋めるのがメディアであることは仕方ないにしても、そこに新たな叙情的解釈が必要となるのです。