トナカイ語研究日誌

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現代歌人ファイルその203・野尻供

 野尻供は1938年生まれ。「茨城歌人」を経て1974年に「心の花」に入会。1982年に歌集『鉄の歌』を刊行。解説は佐佐木幸綱。その他合著『竹柏の葉』がある。
 野尻は家業の鉄工所を経営しながら作歌活動を行っている歌人であり、それゆえにタイトルは『鉄の歌』なのである。もっとも単純にそのまま家を継いだわけではないらしい。父が鉄工業を一度失敗して家族離散し、プレス・板金工として働いたのちに22歳のとき父と再び新たに鉄工所を開業したそうだ。そのような複雑な経緯を経て経営者となった。
 まずは、鉄工所の現場を描いた歌を見てみよう。

  夜の竿に刺されて俺の仕事着がぽったりぽったり血を落すかな


  鋼板に肌ふれおれば幾万の労働の声夕べ聞こえる


  継ぎて貧しく鉄打つ日々に慣らされてさびしくあらぬを不思議に思う


  ゆらぐ高所に炎を持ちひと日作業せし肉体(からだ)が夜半までわれに戻らず


  吊るされしわが仕事着の穴ぼこより一番星を子は見つけたり


  熔断機の火力をあげて錆板の昨夜の血痕も両に断ちたり


  この職でわれは終らむか黒々と今朝も鉄錆まじる痰吐く

 まさに鉄と油の匂いが立ち込めるような、泥臭い歌である。「仕事着の穴ぼこ」くらいから一番星という希望を見出すしかないささやかな生活に疲弊していく様が描かれる。経営者というよりむしろ工場の現場で働く労働者の視点から詠まれている。それくらい、家族離散して青春期を板金工として過ごした経験が大きかったのかもしれない。
 「鉄」が「血」のイメージとリンクして描写されるのも特徴であり、鉄工業の一家という「血族」に対する意識の強さがあらわれている。とりわけ野尻の人生観に影響を与えたのは、父の存在である。

  農を継ぐ子を持たざりし父の手に麦青々と太く短かし


  手製のハンマーわが血の中に置き忘れ錆板のごとく父は老いたり


  父を拒む母の鋭くひくき声あわれ十四の春に聞きたり


  手製なる父のハンマーの柄を替えて今日よりわれの味方にしたり


  母の死後ぷっつり父が酒断ちてさびしきことが一つ増えたり


  錆板を叩き通して老いぼれし父の答はたれも探すな

 強いはずだった父がすべてを失ってまたやり直していくさまを間近で見ることになった少年の姿。そこには単なる貧しさの苦しみ以上のもっと人間性の根幹に関わる苦しみが横たわっているように思える。亡くなった母、遺書を残した姉、死んで生まれた弟と、野尻の描く「血族の物語」はひたすら死にあふれていて、それなのに父一人だけがいつだって取り残されて生きたままの苦しみを味わうことになるのである。

  もしも木になれたら風雨に耐え抜きてわれは素直に墓標になりたし


  一抜けて二抜け三抜け少年とわれと小犬と永い夕映え


  どたばたの俺の生きざまふるさとの三坪の墓は待っててくれるよ


  ふるさとの片道キップに深々とナイフ突き刺してゆらぐわが日々


  いずこの死運びゆくのか霊柩車横腹から給油されおり


  鉄臭き手などとこの頃言わぬ子と切符買う間を熱く手つなぐ


  西よりの風に変りて組み急ぐ鉄骨の上月おぼろなり

 野尻の歌は「なり」「たり」で締める歌が多く、語尾のパターンが豊富という文語体のメリットをうまく生かせていない、寺山修司塚本邦雄本歌取りとはいえないレベルの類想歌がある、などの疵もある。しかし「鉄」と「血」のイメージをつなげて徹底的に〈私〉の物語を演じ、ある種のイデオロギーともいえる「父」という観念に真剣に対峙してみせたところに、短歌という詩型の持つ底力が垣間見える。