トナカイ語研究日誌

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現代歌人ファイルその168・小川佳世子

 小川佳世子(おがわ・かよこ)は1960年生まれ。同志社大学経済学部卒業。1999年「未来」に入会し、岡井隆に師事。2006年に出版した第一歌集「水が見ていた」で現代歌人集会賞を受賞している。大学院にて能の研究をした経験も持つ。
 京都は仁和寺の近くで生まれ育ったという小川は、京都の風土を背景にした歌を作っている。しかしそれは外部の目から見た京都とはかけ離れた、生活者のいる京都の街である。あるときはどこにでもある都市のような、あるときはどこにも存在しないような都市の雰囲気を、丁寧に表現している。


  たっぷりと色を鎮める冬の寺予告のように虹かかりおり


  いつまでも売れぬ宅地の向う側カイワレのように竹林戦ぐ


  さりながら自分のたまの置き場所は何処にあってもよいのだろうし


  とこしえに曲がり切れないカーブだといつ曲がっても思う箇所あり


  とり返しがつかぬ「日当り良好」の空室情報剥がされていて


  行き止まりばかりがならぶ町並に西日を溜める流れたい水

 京都の実在の地名が登場する歌も多数ある。しかし「宅地」「カーブ」「空室情報」といった、どこにでもあるような何気ない市街地風景に逆説的に京都が色濃く滲んでいるという不思議さがある。都市とは生活の凝縮であるという認識があり、生活者として京都を生きているのだという矜持を感じる。

  まちなかはもうあきまへんと人は言うあかん一人が此処に住みおり


  もうええんちゃうのと君は言っていた私は麦酒の泡を見ていた


  それになら負け続けても構わない間違っとると思う世界に


  (おなかとは言わへんのか)と繰り返す「腹など数ヶ所を…」と聞かされるたび


  いっぺんも好きやて言われへんかった螢火も見ず逢いみし時も


  すず虫が鳴いてもうすぐ秋やなと言ったのははて、誰であったか

 印象的なのは、関西弁を取り入れた歌である。方言は究極の口語であり、作者の肉声に近い言葉だ。それを小川はうまく定型に馴染ませて演出している。同じような悩み方をしていても、標準語より関西弁のときのほうが芯が強くすぐに答えを見つけ出せるように感じられる。そんな効果がある。関西弁の歌のほとんどに「言う」という動詞が入っているように、肉声を出す身体感覚を小川は大切にしているようだ。


  南北に遠くあれども時差の無いオーストラリアのようなあなたか


  いくらでもやさしくしたい 間違っていなかったこと教えてくれた


  この痛みはかなり一人だ眼底のような櫟の枝に黄昏


  偉くなくすごくなくとも夏風に犬は笑ったような顔する


  正面を向いてないからいつの日も三角にしかならぬ関係


  二学期が得意であったラベンダーオイルの香り部屋に満ちたり


  しばらくは枝の形に添いて飛ぶ花びらを見てのち見失う


  人の居ないワンルームの床凪いでいて台風の目に入ったようだ



  永遠の入口としてあの日すこし開いてた窓を水が見ていた

 相聞歌も多い。「水が見ていた」という歌集は作者の詳しいプロフィールはぼんやりとしか読み取れないような仕掛けになっていて、ある程度の年齢から再び学生として学び直していること、少し複雑な家庭に育ったことくらいしかわからない。それにも関わらず、ひとつの人生のドラマがびんびんと伝わってくるような工夫が凝らされている。歌集全体を通して語られるひとつの恋から訪れる救済や挫折や苦悩が、人生そのもののメタファーにもなっているからだろう。「枝の形に添いて飛ぶ花びらを見てのち見失う」。添い続けるものは、やがて必ず見失わなくてはならないのだ。この丁寧な写生の描写は、小川の人生観そのもののようにすら思う。ときおり見せるアフォリズム的な短歌も、抑制がうまく効いていて少なからず胸を打つのである。