トナカイ語研究日誌

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現代歌人ファイルその154・黒田雪子

 黒田雪子(くろだ・ゆきこ)は1971年生まれ。15歳から短歌を作り始める。2003年に「星と切符」で第46回短歌研究新人賞を受賞し、「未来」に入会。今年の8月に第1歌集「星と切符」を出したのであるが、これは出版社を通したものではなく手作りの私家版である。そして歌集には2010年頃から創作活動を休止していること、この手作りの歌集が最初で最後の出版物になるであろうことが記されている。いわば歌のわかれとして出された一冊である。

  みずからの意志もて選ぶ孤独なり銀杏の黄金(こがね)吹雪をあゆむ


  矢印のついたしっぽが生えていて朱実巧みに鼻母音を出す


  はるかなる生まれ故郷の早乙女の祖母の旧姓をわれは知らずも


  性転換する子持つよりマシよねとわれの〈思想〉を母は言うなり


  両性の短所具有と書きにける中島敦 嘔きつつ思う


  軍服の女となって責めぬけばヴェイユ昇天まばゆい真昼


  われはいま生ける教養小説ぞみどり傷めぬ髪束ね上ぐ

 「星と切符」は20歳の女子東大生を主人公に設定してつくられた構成的な作品である。この設定上の主体が作者自身の経歴とどれほど重なるかはわからないし、知る必要もないだろう。「生ける教養小説」とはすなわち今まさに成長の途上にあるという意識から来ている言葉であり、それが仮想とわかることでかすかな混乱を生み出す。また、ジェンダーに関心が深かったことも読み取れる。

  朴の華揺れて傾斜(なぞえ)に風が立つかしこに見えぬ扉開き居り


  日常に似てとりとめのなき夢に白文鳥は青き糞する


  あまき果(み)に飽きこそ足らえ匙をもて皿にのこれる蜜を捨てにき


  白き機体羞(やさ)しからずや重力に抗して空(くう)の一点に消ゆ


  おおぞらよ草しばし鳴る風のなかかつて完き虹を視し場所


  淡き灯を湛えて夜のバス発てり分身ありてさすらうごとし

 冒頭の連作「朴の花・一九九二」は1992年の「短歌研究」に掲載されたものの一部だという。自己ベストはこれだと本人も書いている通り、凄みのある一連である。言葉の重さとパワーにあふれている。そしてどれほど書き連ねても結局のところ最初期の作品が最高傑作になってしまうという自覚が、黒田に歌のわかれを突きつけるようになったのかもしれない。短歌は、続けること止めることが人生そのものの問題として関わってくるような不思議な文芸形式なのだ。

  悍馬あり幟旗あり追い風に夜空をわたる雲の軍勢


  「晩年や彗星闇を見て還る」走り書き 亡き人の手帳に

 
  「クロッカス」とくりかえす祖母新しき語彙を今得し童女のごとく


  「霜夜かな古きノートを読み返す」死者の句ありき古きノートに


  ありながら流れてゆくというだけでなぜか哀しい河なのである


  「耳鳴りや壁を這い居(お)る夜の蟻」芸術療法のぬるい午後


  握り箸にて食事すと記されし指名手配書そのほか忘る


  ブランコよ夢から夢へ飛び移れ闇の虚ろを見ぬようにして

 夢と死の接近がしばしば描かれるのが特徴であり、そして夢の領域は言葉のなかに存在する。短歌を離れることは、境界線が曖昧になっていた夢と死との狭間を自分できっちりとけじめをつけることでもあるのだろう。上句の五七五が俳句になっていて下句でそれが遺作であることを明示して短歌にする、という構成の歌が数首歌集に入っている。地味ながら短歌と俳句の境界線を絶妙に揺るがす歌である。定型詩は音数という一点でのみ境界が引かれ、その外側には混沌がある。むしろ境界があるからこそ、混沌はより強調されるのだ。黒田はおそらくその混沌への憧れから短歌を作ってきたのだろう。
 「これといった理由もないのに詠めなくなってきた」ために歌をやめてしまうことにしたとあとがきには書かれている。レトリック的な能力の低下はないまま、人生そのもののささやかな変化によって歌はできなくなっていくことがある。短歌とは時間を固着させつなぎとめる機能を持つのだろう。やめた瞬間からドラマは生まれ、しずかに時間は流れ始めるのである。