トナカイ語研究日誌

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現代歌人ファイルその150・竹村公作

 竹村公作(たけむら・こうさく)は1949年生まれ。高校時代より作歌を始め、「ツゴイネルワイゼン」「グラフィティ」「身中の虫」「力道山が死んだ」「企業戦士と呼ばれたりして」と5冊の歌集を出している。2002年より「礫の会」主宰。兵庫県丹波市に住み、会社員をしながら短歌を続けてきたようである。
 風刺とユーモアを効かせた作風が特徴であり、松木秀にも通ずるセンスがある。

  マイホーム妻と二人で建てました連名ローン夫婦円満


  世紀末個の尊厳がゆきわたり一人用鍋物セット売れゆく


  青色の塗料が一番安いからピカソの「青の時代」があった


  種あかし少しずつする手品師が最後に生きてゆく意味明かす


  変身のポーズをとりて「変身!」と叫べど男変身をせず


  七人が次に集まる日程の調整をして今日は閉廷


  本棚を指示書きどおりに組み立てて余りし螺子は字余りとする


  マンホール男が頭を突き出して見回しており世間の様子

 庶民的なあるあるネタの笑いもあれば、非日常へとふっとはみ出していくような笑いもあって、意外にユーモアの技法の幅は広い。しかし基本的には日常の裂け目から外へ出ていこうという志向が根底にあるように思える。たまに頭を突き出して世間をうかがう「マンホール男」はまさに、普段は暗いところに引っ込んでいる自画像なのだろう。

  突然に痴漢呼ばわりされたので彼は自分が男と知れり


  タバコ屋の店先に来てうずくまる犬とわれとが入れ替わる午後


  洗面所の鏡覗けば今さっきのぞきし男の顔と重なる


  回転の扉に老人入りゆけば少年一人でてきたりけり


  信号が替わりて人群れ押し寄せる少し寂しいパレードのごと


  私も写っているといただいた写真に後ろ姿わたくし


  目の前の吊り環もとめて腕伸ばす以下何名と言われてもなお


  それぞれの階に女を一人ずつ降ろして昇るエレベーターは


  デジタルの君を拡大してゆけば点点点となりてちりぢり

 「異なる人格が入れ替わる」というテーマの歌が多い。また、人格の同一性に疑問を投げかけたような歌も散見される。「私が私とは限らない」「私の知らない私もいる」「私は〈われわれ〉の一部でしかないのかもしれない」そういったメッセージが多数短歌によって発せられていて、基本的には一つの問いをひたすらに変奏し続けているだけの歌人ともいえる。そしてそのような思考が生まれていった背景に、団塊という世代論の問題を意識している。

  今世紀特筆すべき食べ物の即席ラーメン葱少しのせ

  
  万博の終わったあともなんとなく突っ立っており〈太陽の塔


  ベビーブームあれは一体何だった 嗚呼観覧車廻り続ける


  こちら向き並びし靴とあちら向き並びしがあり円谷の遺書


  目的地周辺までを誘導しカーナビそのままわれを置き去る


  団塊は「我等」であって「我」でなし三島由紀夫が腹切るときも


  団塊の我等連れ立ち階段を上りし処にある非常口

 個人ではなくつねに集団として括られてきた世代。だからこそ「私が私である」ことを自然に簡単に受け入れることができないまま生きてきた。本当の孤独とは群衆の中にあることを明晰に捉え、「その他大勢の一人」としての視点を決して失わずに現代社会を見つめている。そんな印象を受ける歌人である。