吉野亜矢(よしの・あや)は1974年生まれ。「未来」「レ・パピエ・シアン」所属。2001年に未来賞を受賞し、2004年に第1歌集「滴る木」を上梓している。神戸市在住の歌人のようである。
「滴る木」という表題にもあらわれているが、この歌集には植物のイメージが散見される。植物はさまざまな歌人によってさまざまな寓意化がされているが、吉野は植物をナショナリティの象徴として表現しているところにユニークさがある。
あるだろう 虹の根ふとく突き刺さるあたり制度の届かない地が
地中ふかく根を張るものへ憧れを抱き樹形図の先に滴る
風の生む水に抱かれる我がこの国の木ならば幸せだろう
毛穴から蔓が伸び出す巻かれつつ前へと進む動物でいる
さざんかのほそい苗木の病葉をつまみつつこの指が持つ色
わたくしの国とは違う水を通わせて匂える花のむらさき
とりわけ根というモチーフが「国」と「家系」という二つの意味合いをもってメタファーとされている。民族単位の国家観ではなく、土の中に深く根ざした「地」を重視する国家観なのだろう。岡井隆の解説には、「どこか、広い空間性が感じられるのであつて、人文地理的であつて、歴史的でない。」と書かれている。確かに、吉野の歌には空間性をうまく扱ったものが多い。時間性から解き放たれた世界で、同じ「場」を共有することへの憧れがあるように思う。
地球儀の継目浮きつつ日に灼けた首都の名前がさざめいている
どの海の温度とおなじ今日泳ぐビル天辺に浮かぶプールは
流星は降り注ぎたりふるさとの弱かった殿の城の跡にも
鳥の目はいかなる星座映すらむ遺族の家を線で結べば
いろいろな床のものらとわたくしと星座をなして雨を待ちいる
同じ野に風渡らせて麦の穂の揺れるをまもるふたり小さく
過去や未来のものとも自在に「場」を共有しようとする志向がみられる。想像も及ばない他者とも、同じ世界に平面として乗っていることを確かめてつながっていこうとする。いうなれば吉野の歌は平面的想像力によって全面的に開かれている。時間を超えて同じ土の上に立っているということに大きな意味を見出し、外部に想像を広げていこうとする。ごく狭い空間を共有していたことで人間同士がつながり合うことはよくあることだが、吉野はその空間に対する感覚がまるで鳥のように広いのである。
魚らを北の光が起こすとき記憶なしでもかなしいふたり
島と崖みたいに君とわたくしは一対のもの(吸い込まれそう)
息を吹きかけて氷柱を育てゆくあなたの耳にすっぽり嵌る
傘の下覗き込む地図いつよりか寄り添うことを覚えだす肩
つながれた形に胸が熱くなるたとえどちらも私の手でも
教会のステンドグラス越しに見る木の花ほどの君の想いを
そしてこの空間に対する感覚は、相聞歌においても満ちている。ふたりだけの世界でもあるはずの恋愛の空間も、ときにスケールの大きな想像力によって外部へと開かれていく。人を愛することはときに、まだ行ったことのない国の地図を見つめるのにも通ずるものがあるのかもしれない。大地を媒介にして根を張り巡らせていくような想像力。それは世界を下からじわじわ変えていけるだけの強いパワーを秘めているように思える。