トナカイ語研究日誌

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穂村弘百首鑑賞・99

  郵便配達夫(メイルマン)の髪整えるくし使いドアのレンズにふくらむ四月

 第1歌集「シンジケート」から。角川短歌賞投稿作の一連からすでに含まれている一首である。ベルが鳴ってドアのレンズを覗くと、凸レンズごしにくしで髪を整えている郵便配達夫の姿が見える。魚眼レンズで丸まって見える世界を「ふくらむ」と表現するのは思いつきそうで意外に思いつかない、コロンブスの卵的な修辞だ。この歌でもっともしびれる部分はこの「ふくらむ」の四字である。「ふくらむ」小世界はドアのレンズの中にしか存在しないが、確かにそこにあるもう一つの世界だ。
 郵便配達夫(メイルマン)という表記や、客前に備えてスタイリッシュに髪を整えているという状況などはアメリカ映画的なフィクションめいた世界観があらわれている。華やかで浮き足立った気分に満ちている歌であり、それが春のはじまりである「四月」へと導かれていくのは自然で美しい流れだ。鮮やかな原色に彩られた春のよろこびは、花でも鳥でもなくたとえば髪を整える郵便配達夫の姿にこそ満ちているものだ。
 「シンジケート」での「光」の描き方は一貫して屈折している。光が直接さんさんと降り注いでくるということはなく、つねに何かしらに反射したかたちできらめいている。掲出歌もまた鮮やかな春の光がドアのレンズによって容赦なく屈折される。それはまた、春のよろこびもまた屈折されているということなのだろう。
 この「月」シリーズは十二月から始まって十一月で終わる。中途半端なところから始まっているように思うかも知れないが、これはおそらくキリスト教の「典礼暦」に従っている。典礼暦ではキリストが生まれる十二月に始まり、十一月は「終末月」として死者を悼む。四月はイースターの行われることが多い月である。手紙を届けに来る郵便配達夫はもしかしたら復活したキリストの化身であり、ドアのレンズという小さな異世界の中でドアが開かれるのを待ち続けているのかも知れない。