トナカイ語研究日誌

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現代歌人ファイルその97・宮田長洋

 宮田長洋は1943年生まれ。慶應義塾大学法学部法律学科卒業。1969年に「短歌人」に入会し、2005年、「魔都には闇を」で短歌人賞を受賞した。
 宮田は東京の武蔵野生まれである。といっても現在の武蔵野市は本来の武蔵野ではなく、現在でいう東京23区の西部のあたりらしい。そして自分の生まれ育った昭和という時代と武蔵野という土地に徹底的にこだわり、都市歌人というアイデンティティをもって歌作りをしている。2009年に刊行された歌集「東京モノローグ」は「東京」というテーマ意識が濃厚に現れた一冊である。

  主語のなき都市論よりも地続きに都庁ビルあり野宿の家あり

  われ五歳迷子となりし新宿の泥濘む道に踏み板ありき

  魔都の魔はついに知らずも酔い痴れしいくたびの夜の潤む商標

  純情商店街と名づくる神経のずぶとさもまた高円寺はもつ

  「富士山が大きく見えた」中野区の戦争被災写真のタイトル
  駅前の武蔵境の佇まい或る小都市のレプリカとして

 具体的な地名もまじえながら東京の都市風景が描かれる。ここで表現されているのは都市と郊外の境界の溶解である。かつては都市部に冠されていた武蔵野という地名がいつのまにか郊外へと移動していった。武蔵野に生まれたということは宮田の大きなアイデンティティであり、武蔵野が名ばかりのものと化していくことは自分自身が名ばかりの存在になっていくような感覚なのだろう。

  等身大吉永小百合のたてかんをむかし自室へ運びしひとあり

  苦しげに追い抜かれたる円谷も昭和殉難者のごとき千駄ヶ谷
  曜子なるひとあり今ならEカップ石井それがしいたく惚れしが

  あれはもうつげ義春の世界だった農家の離れに少女がぽつり

  アラーキーに撮られてみれば新宿の場末の婆(ばば)も福福しかりき

 「昭和」というのも重要なテーマである。固有名詞や人名が頻出するのも宮田の歌の特徴といえる。短歌における人名の導入といえば同じ「短歌人」所属の藤原龍一郎が多様な試みをしているが、宮田が登場させる人名はいずれも濃厚な「昭和」の香りを発している。とりわけオリンピック選手としての重圧に苦しみ自殺した円谷幸吉の名は、「昭和殉難者」という言葉がまさにぴったりである。宮田が過ごしてきた、ぎらぎらとした輝きのある戦後経済成長の時代。理想を抱えて突き進んでいった時代の背景に押し潰されていった人たち。それが「昭和殉難者」なのだろう。ある意味で、宮田が詠む「昭和」はすべて挽歌なのだと言えなくもない。

  街角に顔覗かすることもなし首都に逐われし野のかなしみは

  温暖化警告の黒き髑髏のシャツ着て青年は輪のなかに舞う

  携帯を耳にひた当て道をゆく男の口を出づるバイアグラ

  電灯の消(け)なばたちまちパニックとならん人ゆく地下街のどか

  ゴールしてはどっと仆れこむ駅伝の選手の長き未来をおもう

  作業所へ通うひとりは時給二百五十円をもいたくよろこぶ
 もちろん昭和ばかりではなく現代も詠む。かつてのように発展の陰の殉難者となる人はもういない。発展の予感がないただひたすらだだっ広い未来ばかりを抱えさせられているのが現代人であり、都市の住民たちなのだ。おしゃれさとは程遠い猥雑さを武器に、苦みばしった世界を描く。ユニークな都市詠の詠み手である。