トナカイ語研究日誌

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現代歌人ファイルその88・山崎郁子

 山崎郁子は1963年生まれ。園田学園女子大学卒業。「短歌人」「かばん」に所属し、1990年に歌集「麒麟の休日」を刊行。また、穂村弘の歌集「シンジケート」の担当編集者であったことも知られている。
 山崎の短歌は基本的に口語旧仮名で作られている。私自身もそうだが、口語旧仮名という文体は歴史的な意識というのは希薄でありむしろエキゾチックなものを感じて使用しているケースが多い。

  花はただいつしんに咲く真夜きみが青いオカリナ吹くやうな月

  風が吹けばいつせいにあふぎのくすくす夢までつづくいてふの並木

  夏といふはちみついろをすひこみてゐるゆゑいてふはこころにつもる

  おそらくは口にだせずにゐたゆゑにぼくらの波は高かつたのだ

  春のグラスに春のひかりはあふれつつただひとことが言へないでゐる

  ひなにんぎやうのかたなのつばやすらかな眠りにおちるためのおまぢなひ

 旧仮名のひらがな表記の魅力をフルに用いており、スタイリッシュでおしゃれなイメージがある。言葉に対するフェティシズムがこの文体を選ばせているのだろう。
 「麒麟の休日」はバブル期の昂揚感を背景に持った歌集でもある。どことなく浮き足立ったような気分が、華やかな修辞とともに描かれる。

  こんなにも風があかるくあるために調子つぱづれのぼくのくちぶえ

  ファンファーレ響きわたるよ満天の星の降るかもしれない夜は

  息をするものらをつつむ雪の夜なれば天使の金の編み針

  満ち足りてゐるといふこと陽のひかり浴びる陶器のペンギンの群れ

  きんのひかりの化身のごとき卵焼き巻き了へて王女さまの休日

  空からはゆめがしぶいてくるでせう 手にはきいろい傘のしんじつ

 「満ち足りる」という感覚が正面から描かれているのは今見ると新鮮な思いもする。「天使の金の編み針」「陶器のペンギンの群れ」「きんのひかりの化身のごとき卵焼き」いずれも作者の多幸感が過剰といえるくらいの修辞を駆使してモノに象徴されている。それもいたって日常的なアイテムにである。こういった象徴化の方法は実は塚本邦雄の影響下にあるものだろう。そこに「調子つぱづれ」のくちぶえを全肯定してみるようなわくわくした気分が溶け合っているところに不思議な面白さと魅力を感じる。

  ままならない秋桜の茎やくそくの電話でなければ鳴つてはいけない

  だつてこんなにつきがとつてもあをいからオルガン・シューズで象の背を踏む

  遮断機が下りきるまでの青空のあを いつまでの約束のいろ

  あをぞらの向かうへつづく階段を見つけられずにゐるのを見てゐた

  大切なことはときどきおもひだすだけでいいから 青空が好き

  雨上がりあをいリボンを見かけたらきつとうさぎは耳を押さへる

  どこへゆくためのやくそく水色のオープン・カーではこばれる犬

 特に目に付くキーワードは「青」と「約束」である。青を「約束のいろ」とストレートに表現した歌もある。青は空につながる解放の色。「約束」は果たさなければならないものではなく、自らを解放してくれるもの。しかし「遮断機」に寓意されているのは「約束」には期限があるものだという思いだろう。こういったモラトリアムの意識というのが、時代を象徴していたといえる。