トナカイ語研究日誌

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穂村弘百首鑑賞・53

  明け方に雪そっくりな虫が降り誰にも区別がつかないのです
 第3歌集「手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)」から。なぜこの歌を取り上げたかというと、ついこの前雪虫を見たからである。北海道では冬が近付くとまるで雪のように真っ白な虫(正体はアブラムシの一種)がふわふわと宙に舞う。これが雪虫である。雪虫があらわれるとああもうすぐ初雪だと人々が感じる、風物詩となっているのだ。札幌に住んでいた経験のある穂村は間違いなくこの虫の存在を知っていただろうが、全国的にはそれほどの知名度はないかもしれない。南国住まいの読者は「雪そっくりな虫」の存在をファンタジーとして受け取った可能性も十分にある。ある人にとっては毎年の日常風景、ある人にとってはファンタジー。そういう差異を意図的に演出したのだろう。
 ポイントとなるのは「区別がつかない」こと。明け方という時間帯も、「かはたれどき」=「彼は誰どき」という異名があるくらい、物がはっきり見えなくなる時間帯である。物事の境界線があいまいになってはっきりと区別がつかなくなってしまう。これは「まみ」の心の中にある原風景が、いろんなものがあいまいになっている状況を示しているのだろう。「まみ」にとって冬の風景は故郷の風景に近いことが要因としてあるのかもしれない。

  目覚めたら息まっしろで、これはもう、ほんかくてきよ、ほんかくてき

  〈自転車に乗りながら書いた手紙〉から大雪の交叉点の匂い
 「まみ」の中の冬の風景がいつでもノスタルジーの香りを発していること。そしてノスタルジーの中では幻想と現実はごちゃまぜになって境界線がなくなってしまっていること。過去の思い出が都合のいいように頭の中で改変されてしまっているのはよくあることだろうが、「まみ」の場合現在と過去の区別すらあいまいになってしまっているのが特徴的である。いつか思い出の中で見た現実の雪虫なのか、現在の大都会の中で幻視した雪のような虫なのか。雪虫というモチーフを巧みに用いて、穂村弘は意図的に混沌を演出しているのである。