トナカイ語研究日誌

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穂村弘百首鑑賞・47

  「フレミングの左手の法則憶えてる?」「キスする前にまず手を握れ」

 第2歌集「ドライドライアイス」から。「フレミングの法則」とは中学校で教わる電動機に関する法則であるが、実際の科学知識なんてもうどうでもいい域に掲出歌は達している。穂村の相聞歌にはしばしば突拍子もない行動をとる女性像が登場するが、いきなりフレミングの左手の法則の話を振るというのもかなり不思議な言動である。そしてそれに「キスする前にまず手を握れ」と返すところがまたかっこいい。おそらくこのあと自分が言った通りの行動をとるのであろう。
 京大再生医科学研究所の細胞生物学者でもある歌人永田和宏にもフレミングを詠んだ歌がある。 
  放課後の眠い晩夏の陽の光はるかなりフレミングの右手左手

 穂村の歌とはかなり位相が異なることがわかるだろう。「放課後」=学校であり、フレミングの法則と深く結びついた導き方がされている。理系の人だからか、やはり「フレミングの法則」本来の意味は重視したいのだと思われる。少なくとも、フレミングの法則から手の握り方を連想するということはないのだろう。
 彬聖子「こいのうた」という穂村の短歌をモチーフにした少女漫画の短編集がある。掲出歌をモチーフとして取り上げた話(なかなか渋い選歌である)はそれこそ理系男子と文系女子のラブストーリーになっており、掲出歌を読んだ男が「フレミングもずいぶんロマンチックな使われ方をされたもんだな」みたいな台詞を言っていた記憶がある(うろ覚えだが)。掲出歌の妙味はフレミングの法則から学問的な意味づけをまるっきり取っ払ってしまい、「手」という身体部分だけを抽出してしまったことにある。そういう、知的作業としてはいささか乱暴な行為が高い文学的効果をあげるのである。この歌における「フレミングの法則」は自然科学的な知識であり、近代的理性の象徴なのだ。理性という虚飾をすべてはぎとってしまい、前近代的な野蛮さでもって肉体そのもののつながりを求め合おうとする。そんな恋人たちの姿がここには描かれているのである。