トナカイ語研究日誌

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現代歌人ファイルその47・仙波龍英

 仙波龍英は1952年生まれで、2000年に48歳の若さで病没している。早稲田大学法学部卒業。大学時代に藤原龍一郎の影響で短歌をはじめ、1974年ごろ「短歌人」に入会。1985年に第1歌集「わたしは可愛い三月兎」を刊行した。この歌集の版元は主に詩集を出している紫陽社で、装画を手掛けているのはなんと吾妻ひでおである。漫画家が表紙を手掛けている歌集というのは当時としてはかなり珍しい。そしてその人選からもわかる通り、作風もまた濃厚にサブカルチャーを意識したものである。

  〈ローニン〉の大姉〈ポンジョ〉の姉ふたり東洋の魔女より魔女である

  ちちははの帰京をねらひ慶応のヨット部員が湧き出づるかな

  「東大の医学部だけが大学よ」ふたりの姉にも接点はあり

  神無月アンネナプキン発売日姉のくるまが渋沢邸過ぐ

  ナンデアル アイデアル傘さしもせで鶴見から来る影なき群が

  吉展ちゃん力道山死すこんにちは赤ちゃんを聞くありがたくはなし

  ナナ、つばき、菊水、のり子と続く路ゆけば秋風この身からたつ

 「わたしは可愛い三月兎」の特徴は、時事的な事件や風俗、流行語や固有名詞が大量に歌に用いられていることである。そしてそれらのひとつひとつには註釈がつけてある、たとえば5首目の「ナンデアル アイデアル」は「(註24)植木等による丸定商店の傘のテレビCM。」と説明されている。7首目の「ナナ、つばき…」にはこんな註釈がついている。「***どの店も狭い。」もはや註釈になっていない。こうしたおびただしい都市風俗と註釈のかため技は、1980年に出た田中康夫の小説「なんとなく、クリスタル」を否応なしに連想させる。80年代東京のブランド信奉的な都市文化を表層的かつフラットに描き出し、来るべき少子高齢化を示す出生率データでしめくくるという非常に社会学的な小説である。「わたしは可愛い三月兎」では仙波の幼少時代である60年代を舞台とした仙波自身の家族の物語が綴られるのだが、そこから導かれる社会洞察は「なんとなく、クリスタル」と非常に近い位相にある。高度経済成長期の東京で裕福な家庭に生まれ育ったと思われる仙波の生い立ちが、濃厚に反映されている。「東大の医学部だけが大学よ」と言い放つような「姉」に象徴される、欲望の充足を知らずに過剰を好む戦後的価値観への憎悪。それが仙波を突き動かしているものだった。

  葬列のごとく惑星ならびそむる渋谷ハチ公燃ゆる夕べを

  極東のスペイン坂のかたすみにわれ泣きぬれず雨に濡れゐつ

  爛れゆく世紀のをはり喚ぶごとく雨につつじがくれなゐの群

  あさぼらけ東急ハンズに水星のかそけきひかり吸はれたるはや

  まひるまのドームにめぐる星辰をひとつふたつと毀つ意志あり

  夕照はしづかに展くこの谷のPARCO三基を墓碑となすまで

  ふりしきる雨にハチ公まへやがて死霊の集ふ濁流となれ

 「渋谷惑星直列篇」と題した連作は、「惑星直列により何かが起こる筈であった」という都市伝説から出発し、渋谷を舞台に破壊と終末を幻視したものである。しかし単にフィクショナルな破壊幻想を連ねたわけではない。80年代都市文化の象徴たるパルコを墓碑と見立てるような視点から感じられる意志は、破壊願望よりもむしろ追悼である。仙波は渋谷で隆盛するカルチャーに、60年代に「姉」たちが夢中になっていたような享楽性と同一のものを鋭く感じとったのだろう。都市文化が人間性をずたずたにしていく時代の夜明け前。繰り返す時代のただなかで、仙波はひとりしずかにレクイエムを唱えたのだろう。東急ハンズが読み込まれている歌もあるが、ちょうどこの歌集の2年後に「大きければいよいよ豊かなる気分東急ハンズの買物袋」(俵万智)という歌が註釈なしに発表される時代が来るのである。

  ひら仮名は凄じきかなはははははははははははは母死んだ

  空いちめんEm7のひびきにて桜花咲きそむ満月の下

  このごろは焼き場の煙突ひたすらに象徴として装飾として

  ひとつだからいけないのだらう千こえる首ならべれば美しからう

  ふしぶしの痛みとともにエレヴェーターのぼれば聞こゆる地下の春雷

  をはりからはじめませうと逆回しされゆくヴィデオは蝉の生涯

  われといふ時計は疾うに停止して「なぜにおまへは生きてゐるのだ?」
 第2歌集「路地裏の花屋」は1992年刊行で、荒木経惟の写真が添えられている。父、母、愛犬、三島由紀夫から岡田有希子に至るまであらゆる死をメインテーマに据えた歌集である。1首目は、一見したところでは気付かないがよく読んでみると実は結句五音の字足らずになっているという作為的な歌である。その字足らずには、余剰としての感傷を排する強い意志が働いている。またコード記号を歌に入れ込む手法は西田政史に通ずるものがあり、森本平がライトヴァースの先駆けとして仙波を評価している理由が納得できる。
 蝉の生涯を逆回しするヴィデオから感じ取れるのは仙波の生に対する無常観である。人生は短く、内容がない。にもかかわらず何度も何度も同じあやまちを繰り返してゆく。エレヴェーターは都市型歌人がこよなく愛するモチーフであることが多い。自分は動かず、周囲だけが動いて昇りつめてゆく。そんな風にして人生は過ぎ去ってしまう。個人の人生も、巨大な国家や社会も、過剰を愛しては斜陽を迎え無為に日々を繰り返してゆく。悪夢から逃れるように、歌人は絶対的終末としての死を見つめるようになっていったのであろう。
 「仙波龍英歌集」(2007)に寄せられた藤原龍一郎のエッセイには、学生時代の仙波との交友が綴られている。学生証にまで氷神琴支郎というペンネームめいた偽名を用いていたため卒業するまでそれを本名と思い込んでいたというエピソードが紹介されていて興味深い。どうやって偽名で学生証を作ったのかはわからないが、社会に対してあまりにも鋭すぎる洞察力を持っていたがゆえに、あえて虚構をまじえた実存を希求していたのかもしれない。