トナカイ語研究日誌

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穂村弘百首鑑賞・32

  「腋の下をみせるざんす」と迫りつつキャデラック型チュッパチャップス
 自選歌集「ラインマーカーズ」から。穂村弘の歌の中でも今までほとんど引用されたことがないだろう歌を取り上げてみたいなと思いこの歌を選んでみた。あまり取り上げられない理由は簡単で、非常に難解な歌だからである。なぜトニー谷口調なんだとか、キャデラック型のチュッパチャップスって何だとか、あまりに突っ込みどころが多い意味不明な歌である。しかし、無上に面白い。穂村はこの歌を自選50首に選んだこともあるので、実は自信作らしい。
 この歌のポイントは迫りつつの「つつ」であろう。この文脈では、キャデラック型チュッパチャップスが迫っているようにもとれるし、実は上句と下句がまったく切り離されている可能性もある。それぞれのポイントを押さえるのなら、「腋の下」はセクシャルなイメージの象徴だろうし、「キャデラック」「チュッパチャップス」はいかにもド派手でビビッドな西洋的イメージを醸し出すモチーフだろう。促音を多用した音韻も飛び跳ねるようで楽しい。こういった象徴性から導き出されるものを考えると、夢のような不思議な世界観の中で原色的な西洋的価値観に蹂躙されているような光景がイメージされてくる。チュッパチャップスのパッケージデザイナーがダリだというのは有名な話だが、穂村が描きたかったのはそれこそダリ的な不条理の世界なのかもしれない(そういやダリとトニー谷は似ているような気がしないでもない)。
 「つつ」という曖昧な接続をされたことで、「腋の下をみせるざんす」というセクシャルながらも奇怪な命令の発し手ははっきりしないままになる。そして、ビビッドな「キャデラック型チュッパチャップス」と混ざり合ってゆく。そこから生まれてくるのは、姿の見えない不気味な何かに蹂躙されるまま西洋的価値観に染められていってしまう〈私〉のイメージである。ここでは「腋の下をみせるざんす」という声を発する誰かと〈私〉との関係は非対称なのだ。飛び跳ねるような楽しいリズムで不気味な不条理さを醸し出す。それこそが穂村の狙いなのかもしれない。