トナカイ語研究日誌

歌人山田航のブログです。公式サイトはこちら。https://yamadawataru.jimdo.com/

アークレポート2号完成!

 札幌にて集まっている超結社の短歌勉強会「アークの会」で発行している同人誌「アークレポート」の2号が完成いたしました。同人による短歌連作、毎月の歌集研究のまとめ、歌会記などが主なコンテンツです。
 特集その1は、「『つきさっぷ』を読む」。樋口智子さんの第1歌集で、日本歌人クラブ新人賞受賞作です。北海道の風土に根ざしたやさしい歌が魅力的です。
 特集その2は若手歌人討論「今、なぜ同人誌か」。同人である柳澤美晴、樋口智子のほか、西巻真(未来)、西之原一貴(塔)を交え、若手歌人による同人誌が次々生まれている状況について分析・討論しています。個人的に気になったのはこのあたり。

柳澤 一部の傾向が若手全体に敷衍されている問題もありますね。結果、語りやすい歌を語る状況が生まれているのではないでしょうか。
西之原 それは、吉川*1さんにしてもそうで、なんでも実感とか手触りとかっていうタームにもっていくけど、それも危ういと思う。ただ、歌人が自分の短歌観を主張するのは当然のことなので、他の人間がそれに引きずられ過ぎたらだめだということです。
樋口 穂村*2さんの評論というか批評用語に若手全体引っ張られているように感じるけれど、違和感もあるのです。「風通し」のなかでの発話にもそれは感じました。吉川さんにも引っ張られているのかな。

 これは「pool」第6号の座談会「もう少し、歌のリアルを考えてみる」でも提起されている問題点です。座談会のなかでは、堂園昌彦、内山晶太、石川美南、五島諭らが次のようなやりとりをしています。

堂園 あと思ったのは、斉藤*3さんとか兵庫*4さんの歌ってさ、穂村さん的な読み方しかされないじゃん。それって面白くないですよね。多彩さが足りない。たぶん、初めは荻原*5さんとか穂村さんの見解であり問題意識であったのに、みんな自分の見解かつ問題意識のように思い込んじゃって、だんだんずれてきている気がするんですよ。そこに違和感を覚える。
内山 穂村さんの作った流れは結局フィクションなんだよ。それがさも全体を覆っている一つの通奏低音みたいに扱っていることに無理がある。
石川 斉藤さんと兵庫さんの歌は、その(穂村さんの言説に沿った)読みしかできないの?他の面白い読みはないのかな。
五島 それが、なんかできないんだよね、他の読みが。

 ここで挙げられている「穂村さん的な読み」というのはいわゆる「言葉の金利」論であり、長く続くデフレ社会で先が見えない状況になっていることが若手歌人の歌に影響を与えており、低体温のまま切実な叫びを訴え続けているという読み方でしょう。
 穂村弘吉川宏志といった上の世代の批評家の言葉によって自己暗示をかけられてしまっているような現象が若手歌人には起こっているのではないか。そしてその自己暗示からどうにか脱却する手立てはないのか。それが現在の歌壇においてもっとも答えが求められている問いかけなのです。特集「今、なぜ同人誌か」は、「pool」6号の座談会と併せて読むと問題が立体的に見えてきていいのではないでしょうか。 
アークの会 メンバー
阿部久美(短歌人
北辻千展(塔)
佐野書恵(原始林・太郎と花子)
真狩浪子(短歌人・月鞠)
村上たかし(所属なし)
樋口智子(りとむ)
山田航(かばん)
柳澤美晴(未来)