トナカイ語研究日誌

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現代歌人ファイルその32・大野道夫

 大野道夫は1956年生まれ。東京大学文学部卒業、同大学院教育学研究科博士課程修了。大正大学人間学部で教鞭を執る社会学者である。佐佐木信綱の曾孫にあたり、佐佐木幸綱は母の従兄弟。1984年「心の花」入会。1989年、「思想兵・岡井隆の軌跡―短歌と現代・社会との接点の問題」で第7回現代短歌評論賞を受賞した。
 団塊世代による熱い政治の季節が終わった後に青春を迎えた世代を「しらけ世代」と呼んだりする。政治に幻滅し、ノンポリ的な個人主義に傾倒する一方でモラトリアム感覚はいまだ残存し、サブカルチャーが隆盛してゆく。大野はそんな世代を代弁するかのような青春歌を多く作っている。

  ニッキあめ平和憲法民主主義シュートを打てばあおあおと空

  ペンライト点してボクらはそれぞれのウルトラマンを待っていたのだ

  米軍機飛び交う真下捕虫網かざし走って少年期終う

  ライカ犬地球をめぐる青き時代(とき)知らないことが子供らにあった

  学生が踏む銀杏にむせ返る青春期(アドレッセンス)をやや過ぎたれど

  ジャイアンツの勝利を告げる先生の東大教授からはみだす部分

  帰れ 夏たまらなく暑く棒あいすアトムが未来指し示した夜に
 高度成長期を迎え始めた少年期への憧憬と、平和だけれど何か大事なものを喪失したような青春の日々。当時の日本の少年たちが幻想した「それぞれのウルトラマン」とはどんな存在だったのだろう。平和憲法を手に入れ、焼け野原からの奇跡的な経済発展を遂げた。そんな戦後日本が求めていた「ウルトラマン」は、どこか遠くの星からやってきた正体不明のヒーローだった。「ウルトラマン」はおそらく自由主義をもたらしてくれたアメリカでもなければ、発展が生み出す陰を隠しながらがむしゃらに働いた市井の日本人たちでもなかったのだと思う。それは名付けようのない存在だった。ひょっとしたら熱い季節を敗北とともに終えた団塊の世代はそれが見えていたのではないか。そういった思いが「しらけ世代」の胸には去来していたのかもしれない。

  党本部地下一階の食堂のお子様ランチの日の丸の旗

  網棚の漫画を奪う壮年が世間へさらす革靴の底

  10ルピー、5ルピー、2ルピー、1ルピー、目減りしてゆく我の慈悲心(チャリティー

  Abbey Roadをななめに渡れいつまでもロックにひたっていられはしない

  ゆらゆらとゆれるわたくし私を確認(アイデンティファイ)するパスポートの紙

  壁穴からのぞく男よ僕はただ竹の子ご飯を食べているのだ

  ユニットバス膝を抱えて君は言う「もうボクたちにシソウは来ない」

  いつか我ら捕える思想来るだろうそれまで午後の陽を浴びてれば

 「網棚の漫画を奪う壮年」こそかつて熱く闘った団塊世代のなれの果てなのだろうか。高度成長を経験して豊かな「日本人」となった大野はタイで貧しい物乞いに恵む金額を徐々に減らしてゆく。それは南北問題を達観したわけではなく、ただ単に「慣れた」だけなのだ。飽食に慣れるのと同じように、貧困にも慣れてゆく。「しらけた」青春期を終え、シソウなき時代を生きる。自分を守り生き残るために、目の前の現実をとりあえず認め弱者を切り捨てていく。そうすることに慣れてしまった自分におぞましさを感じつつも、他の方法をとることができない。かつての政治闘士が網棚の漫画を奪う姿に負けないくらい惨めな姿かもしれない。そう自分自身を振り返るのだ。

  尻取りの最後はニンシンで終わる恋愛ゲームのめぐる十代

  コカ・コーラの泡ゆるゆるとのぼる夜は君が子どもを生みにゆく夜

  吾と君のなに溶けあうか知らねども吐く息まじる深夜の公園

  男女とは一対にしてはるかなる時間差で置く白き歯ブラシ

  雨で尖る心のかたち制服の前はだかれて帰る坂道

  女とはたとえば沼地かえらない心の水へ伸ばす親指
 相聞歌もどこかクールで何かを諦めてきたような顔が見えてくる。「ニンシン」が終わりを告げる十代の幼い恋愛を終え、突入するのはひたすらに男女がすれ違い続ける日々である。「しらけ世代」は世代ごと団塊世代とすれ違い、そしてすべての人間が個と化してすれ違っていった。群衆をとらえてうまく切り取ってみせる社会学者としての視線が十二分に短歌へと生かされていて、見事の一言に尽きる。