トナカイ語研究日誌

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穂村弘百首鑑賞その29

  「酔ってるの?あたしが誰かわかってる?」「ブーフーウーのウーじゃないかな」

 第1歌集「シンジケート」から。穂村弘の代表作といえる一首であるが、これが代表とされている所以はまず会話体だということがあげられるだろう。「シンジケート」によくみられるのが全編が会話文のみで成り立っている歌である。それらはいずれも短歌の定型に見事に乗っているのであり、日本語という言語は会話においても偶然短歌定型に接近することがあるということを提起している。とりわけこの歌は二人の会話によって構成されているのだからなおさら意識的である。おそらくこれは穂村なりの口語短歌論の実践的展開なのである。
 この「ブーフーウー」とはかつてNHKで放映していた「三匹の子豚」をモチーフにした着ぐるみ劇に登場する子豚兄弟の名前である。女性を子豚呼ばわりしてしまうなんて実にひどい態度であるが、まあ恋人同士ならではのからかいといちゃつきなのであろう。さて、この「ブーフーウー」、1960年から1967年にかけての放映というとても古い番組である。実際「ブーフーウー」は今や忘れられかけていて、穂村自身が「代表歌を一つ失おうとしている」と述べているのを読んだことがある。当然私も番組を知らず、この歌で初めてその存在を知ったくらいだ。では「ブーフーウー」の元ネタを知ったことでこの歌に対する印象が変わったかというと、まったく変わっていないのである。そもそも番組を見たことがないわけだし。元ネタである「三匹の子豚」は知っているけれど、そこからもあまり深い意味を汲み取ることはできそうにない。この歌のキモはやはり、「ブーフーウー」が酔っ払いの呻き声にも聞こえること、呻いているようにみせかけて彼女を子豚呼ばわりして実ははっきり意識を持っていることをばらしてしまうという日常の中のどこかずれた一風景を活写してみせたことにあるのだと思う。またこう考えることもできる。穂村ですらまだ5歳の時に終了した番組なのだから、彼女が多少年下だったら「ブーフーウー」を知らないことは十分に考えられる。だから彼女は自分が子豚呼ばわりされていることに気が付かず、「何をわけのわからないことを言っているんだろう」と戸惑っている。その戸惑う様を見て穂村は内心ほくそ笑んでいたのかもしれない。これは、テレビ番組が世代の差異を如実にあらわすくらいにまでテレビ文化が社会に根付いた時代性を反映しているともいえる。
 穂村弘の歌にはライトなサディズム感覚が渦巻いているが、この歌もその一つと言えるのだろう。ただ、それが景気昂揚期独特のはしゃぎムードと組み合わさったことで、このような面白くポップな歌に仕上がったのかもしれない。