トナカイ語研究日誌

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現代歌人ファイルその26・小笠原和幸

 小笠原和幸は1956年生まれ。岩手県立盛岡短期大学法経学部卒業。1984年に「不確カナ記憶」で第27回短歌研究新人賞、1992年に「テネシーワルツ」で第9回早稲田文学新人賞を受賞。ちなみに「テネシーワルツ」は短歌作品である。かつての早稲田文学新人賞は短歌でもとれたらしい。1996年には第二歌集「テネシーワルツ」で第3回ながらみ書房出版賞を受けている。
 岩手県在住で結社にも同人誌にも無所属のまま作歌を続ける小笠原は、一匹狼といえるほど群れることを拒否する姿勢をとり続ける。それゆえか短歌研究新人賞の受賞者にも関わらず短歌誌に作品が載せられることもほとんどない。藤原龍一郎など少数の歌人が熱烈な支持を表明している程度である。おそらくは藤原の押しで邑書林の「セレクション歌人」シリーズに名を連ねることになったのであろうが、もっと注目されてしかるべき歌人であると思う。寺山修司の影響下にある小笠原の短歌は、故郷岩手を「田園に死す」に通ずる土俗性をもって描き尽している。その描き方は暗い情念に満ちており、複雑な生い立ちからくる怨念がびしびしと肌に伝わってくる。

  仏壇ノ前ヲ過ギタル継母(ハハ)ノ初夜 俺ハ精子ノ化ケ物ダツタ

  陰唇ヲヒロゲテ待テル冬ノ山 アルイハ還ラヌ夜カモ知レズ

  僻村の秋晴れを行く霊柩車死にたき者の死にたる噂

  鈍牛が乾草を食む鈍重に生を咀嚼し死を消化する

  台所の隅で無聊をなぐさめる日陰の軒で氷柱は太る
 テクストのくせに読まれることを拒否しているような読みにくいカタカナ短歌にはじまり、東北の風土が濃厚に死を意識したモチーフによって綴られてゆく。それを支えているのは「人間はただ死ぬために生きている」という人生観であり、常に死を意識して生き続ける覚悟である。そのような人生観を持つに至ったのは生まれ育った家庭の問題もあれば、ルサンチマンを抱え続けた生い立ちの問題もあるだろう。むんむん匂うような〈私〉が見え隠れする私小説性の強い作風である。しかし面白いのは多分に自己戯画化の香りもすることだ。人生の本質をずばっと切り取ってみせる表現には〈私〉というキャラクターで物語を作ってやろうという意識が働いているように見える。そういう点において、小笠原は山崎方代に近い。かなり性格の悪い山崎方代である。

  (さて俺は何がしたいか)火の上で身欠鰊が脂を滴らす

  俺ひとりなくても何も変はらないだらうが今朝の飯食つてゐる

  どのやうに生きてもいつの日か死んでしまふ今夜の爪切つてゐる

  一生の長さあるいはみじかさへ炎天直下蝉鳴きしきる

  待てば来るものを私は放棄するいよよ激しき驟雨を走る

  花はただ花の世に咲き人の世の道に散るとき花また芥

 小笠原の生死観がストレートに表出したこれらの歌には、無頼派の匂いが濃く立ち込めている。自己演出の臭みがあるものの、そのぎらつくような言葉の破壊力にはとても抗えない魅力がある。花は人間の世界に落ちてきたときただの芥となるという鋭い発見は、世界に対する挑戦状がもっとも詩的に美しく処理された姿とさえ思える。

  〈鴉族(あぞく)の黒〉死屍に群がるすがたへの蔑視を毅然とはね返す黒

  〈影法師〉お前を見捨てもしなければ力になつてやれもせぬ影

  〈線香花火〉すべてを捨てて来るなどと言つてた夏も終りの花火

  〈一人旅〉誰もお前に関心がないこと思ひ知らせる逆旅

  〈野の捨石〉くづれくだけて砂となるねがひが未だかなはざる石

  お前は書け泣き言かまた繰り言でしかない歌をだらだらと書け

  お前はするな死後もこの世に残るものただの一つも建設するな 
  お前はほざけ一生は苦だと苦の外のものではないと死ぬまでほざけ

  お前は進め光よりやみそしてまた次なる無明の風を突つ切れ

 そして小笠原の歌の真髄といえるのが連作だ。五首目までは第三歌集「春秋雑記」所収の連作「黒白家集」、それ以降は第四歌集「風の空念仏」所収の連作「無明の風」からの抜粋である。ある一定の縛りを設けて連作を書いた時の歌の輝きは尋常ではない。読めば読むほどテンションがあがっていく構成になっており、次から次へと繰り出される言葉のナイフの鋭さにはジェットコースターのような興奮すら覚えてくる。これは小笠原がしっかりと読者の視点を意識しており、読者の心理状態を自在に操る短歌をつくる術を心得ているからである。エンターテインメントの世界では当たり前の技術であるが、短歌連作でここまで巧くできる人はそう多くない。それだけでも、小笠原の才能と技術がいかにすぐれているかがわかるというものである。