トナカイ語研究日誌

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現代歌人ファイルその19・蝦名泰洋

 蝦名泰洋は1956年生まれ。青森高校卒業。手元にあるアンソロジー「現代短歌の新しい風」には「オラクル」所属、「パンの会」会員と記されている。つまり大規模な短歌結社に属してはいないうえに、どうやら現在も青森に住んでいるらしい。短歌雑誌などに作品が掲載されることはほとんどない、知る人ぞ知る歌人といえるかもしれない。第1歌集「イーハトーブ喪失」は1993年発行。村木道彦を思わせるやわらかな口語短歌であり、とても魅力的な歌が並んでいる。

  かたくなにほほえんでいる降りてきて泣いていいよと誰か言うまで

  女の子だものくじらを従えて泳いだように眠る日もある

  さよならの一歩手前で黙りこむ 頬が電飾文字に色づく

  なにか言おうとしてくずれたる表情の不覚といえば君がほほえみ

  うれしさの涙の中に揺れながら水平線は今日もあたらし

 不思議な透明感と、常に涙を湛えているような澄んだ文体。とても心地よい青春歌である。90年代初頭の口語短歌は、ニューウェーブの存在を抜きにしては語れなかっただろう。穂村弘荻原裕幸らが都会的な口語を追求する一方で、山田富士郎や佐久間章孔といった少し上の世代の歌人がアンチ・ニューウェーブ的な立ち位置から口語の可能性を探っていた。蝦名はちょうどその二つの中間世代に属し、またどちらの立場にもよらないタイプの口語歌人である。はるか離れた東北の地にて、一人きりで新しい口語短歌を追求していた孤高の歌人ともいえる。

  やがて春空の梯子の真上では星替え師たちが星替えている

  少女らにのみ課せられし十戒のひとつくちなわいちご狩ること

  はじめからジョバンニなどはいないのに樹下ジョバンニの長靴冷える

  サーカスはどうしてここに来たのだろうみんな大人になった日暮れに

 これらの歌には幻想性があり、前衛短歌の影響を感じさせる。歌集タイトルの「イーハトーブ」とは言うまでもなく宮沢賢治が幻想した理想郷のことであり、理想郷が「喪失」したという状況が歌集全体の根本的なテーマとなっている。「星替え師」などはいかにも賢治的なフレーズである。「イーハトーブ」が東北の地にあることを想定されたように、これらの歌に描かれた世界はやや少女趣味的な幻想のように思えて実はかなり土着的である。そこが都市性を前面に押し出したニューウェーブ短歌とは大きく異なる点であり、地方都市に暮らす青年という自己像を明確にしている。
 「くちなわいちご」とは蛇苺のことであるが、蛇がエロティックな意味合いを包含しているのだろう。少女らにのみ課せられる十戒という耽美的なモチーフの裏側には、野草によってイメージが喚起されるようなやや土着的なエロスがある。「サーカス」は都市的な娯楽の象徴であり、都市文化が常に遅れて流入してくる地方都市の姿が描かれている。しかし、タイムラグはあるものの都市文化そのものは入ってくるのである。だから地方独特の文化を育むことすらできない。大都市のミニチュアとしてしか発展するすべを持たなくなってしまった故郷。それこそが「イーハトーブの喪失」なのだろう。

  人と人理解し合えぬ……だとしてもだったとしてもやるせないよね

  せせらぎがたしかにとどく雑踏の君もひとりの帰らざる河

  重ね降る雪の向こうに灯りあり 言葉の上に言葉汚して

  おおぜいの他人の中に君はいてだれでもなかったそのときはまだ

 繰り返し歌にて叫ばれる「群衆の中の孤独」。無関心な他人がたくさんいるからこそ人は孤独なのだ。地方都市に住んでいるからこそ見えてくる都市性の欺瞞を、もはや無防備ともいえるくらいの甘い文体でついてみせる。蝦名の基本的なスタンスは「反都市」である。しかし「消え去った理想郷」イーハトーブという幻想を提示することで、決して安易な土俗性に陥らない形で都市批判を行ってみせたところが巧みな文学的ギミックといえるだろう。