トナカイ語研究日誌

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穂村弘百首鑑賞・15

  ティーバッグ破れていたわ、きらきらと、みんながまみをおいてってしまう

 第3歌集「手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)」から。この歌集の作中主体である「まみ」には「自分一人だけ取り残されてしまう」という被害者意識が非常に強い。掲出歌もまた「みんながまみをおいてってしまう」という感覚に囚われている歌である。破れたティーバッグからこぼれたお茶の葉っぱは「きらきらと」輝いている。「きらきら」というオノマトペは、美しさを表現する意味合いが強い。自分を置いていく「みんな」は美しく、輝かしいのだ。

  早く速く生きてるうちに愛という言葉を使ってみたい、焦るわ
  テロップの流れはやくてわからない、わからない、誰、だれが死んだの

 これらの歌も同様の被害者意識に固められた歌である。愛の渇望と、時代に取り残されることへの焦燥感。それは「まみ」が抱えている孤独の根本をなしている部分である。

  一人でも生きられるけどトーストにおそろしいほど塗るマーガリン  佐藤りえ

  洗いすぎてちぢんだ青いカーディガン着たままつめたい星になるの  北川草子
 おそらくは、こういった歌から若い女性の感じる社会への疎外感を巧みに理解し吸収しようとした結果が、「おいていかれる」という感覚になって結実したのであろう。ともに若い女歌人の歌であるが、社会に疎外されていくことで生じる恐怖が、社会に対してよりも自分自身に対して向いているようなところがある。自己責任社会の過剰な責任感のあらわれなのかもしれないが、こういった点は「まみ」も同様で、自分だけがイノセントではいられないという意識が非常に強い。なので取り残されてゆくことに被害者意識を持ちつつも、その苛立ちをひたすら内部にため込んでしまっている。それが決壊した状態こそが「破れたティーバッグ」に象徴されているのかもしれない。