トナカイ語研究日誌

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穂村弘百首鑑賞・12

  信じないことを学んだうすのろが自転車洗う夜の噴水

 第2歌集「ドライドライアイス」から。自転車といえば青春のモチーフとして使われることが多いが、そうではないものもたくさんある。掲出歌での自転車はこの「うすのろ」の心の影の象徴である。
 「信じないことを学んだ」というのは不自然な日本語であるが、それが「うすのろ」ゆえにひどい目に遭ってきたのだろう男の無表情な顔が思い浮かぶ。短歌の「私性」に照らし合わせるならば、この「うすのろ」は作者自身の自己像といえるのだろう。人を信じてきたばかりに騙されてきた人間が真夜中に噴水で自転車を洗う。噴水は人間が自然を制御しようとする西洋的美学の象徴のような施設である。そこに自転車を持ち込んで洗車をはじめる風景はあまり美しいものにはならないだろう。他者から「モノ」のように扱われてきた人間が「信じないこと」を学び、まるで復讐のように美しい噴水のある風景を破壊しようとする。そこに穂村弘独特の屈折があらわれている。
 「学ぶ」といえば穂村にはこのような歌もある。

  何ひとつ、何ひとつ学ばなかったおまえに遙かな象のシャワーを

 難解な歌であるが、何も学ばなかった「おまえ」への失望が見て取れる。しかし穂村にとっては「学ぶ」という言葉自体にネガティブなイメージが込められているのかもしれない。「信じないこと」を学ぶのは世間に、社会に馴らされていくことである。「何ひとつ学ばなかった」おまえに、作中主体は本当に感じていたのは、いつまでも社会から遊離できる純粋さを保ち続けていることへの嫉妬なのかもしれない。