トナカイ語研究日誌

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現代歌人ファイルその11・本多稜

 本多稜は1967年生まれ。「短歌人」所属。関西学院大学商学部卒業、ロンドン経済政治学院(LSE)修士課程修了。1998年に「蒼の重力」で第9回歌壇賞を受賞。2004年に第1歌集「蒼の重力」で第48回現代歌人協会賞。2008年には第2歌集「游子」で第13回寺山修司短歌賞を受賞している。
 本多の歌の第一の特徴は、肉体感覚にあふれた「行動派」の歌だということである。登山やスキューバダイビングを趣味としているらしく、それらを活写した歌は思わず筋肉が反応してうずき出すような躍動感にあふれている。

  大空を牽きてザイルのくれなゐの色鮮やかに懸垂下降
  真向かへば斬りかかりくる雪稜の空の領地を奪ひ取るなり

  くれなゐを闇にしづむる雪嶺よ眼を灼く山の一切放下(ほうげ)
  わが吐きし息のふるへる銀粒を目に追ひながら海面へ向かふ

  山頂直下力抑ふる必要なし鼓動のフォルティッシモトレモロ

 いずれも硬質で端正な歌である。これらは山や海といった自然の中に分け入っているが、決して自然詠ではない。自然と格闘している己の肉体こそが主題である。「懸垂下降」や「一切放下」といった漢語の遣い方も、自然の前で一個の塊と化している自分自身の肉体と重ねる意味で漢字の塊を用いているように思える。このような勇壮な詠みぶりはいわゆる「男歌」に属するが、勇壮さの裏側にある男の哀愁を描く佐佐木幸綱の系譜とは少し異なる。自然のような大きなものの前では自意識などちっぽけなものだという認識が核にあるのだろう。
 本多の歌のもう一つの特徴は、職業を通したグローバルな視点である。海外勤務も長い証券マンである作者には、日本文化の物差しだけでは推し量れない世界を歌に詠もうという姿勢がみられる。

  握手(シェイクハンド)しながら殴り合ふ心この野郎目が笑つてゐない

  共産党本部なりしが電光の株価きらめく証券取引所(エクスチェンジ)に
  東洋人ひとりだけなる会議にてしやべらねば塑造とまちがはれさう

  神はひとつと言ふなれど名の異なれば国境(ボーダー)といふぐじゆぐじゆの皮膚

 海外文化と日常的に接している歌人は少なくない。しかし「殴り合ふ心」「塑像とまちがはれさう」「ぐじゆぐじゆの皮膚」といった生々しく戦闘的な身体感覚を前面に押し出してくるタイプの歌人は貴重である。「ちっぽけな人間」として山や海に果敢に挑んでゆくのと同じように、異文化、国境、グローバリゼーション、そういったものにも掴みかかっていこうとしているのである。

  先頭に立つには上を抜けばいい続く者らに背中さらして

  短調に変はりし歩み足跡のたちまち雪に消されてゆくよ

 これらは比較的珍しい抒情的な歌だが、ある意味本多の短歌への姿勢を如実に表しているともいえる。すなわち、弱さを見せることばかりが抒情ではないという重く高らかな宣言である。