トナカイ語研究日誌

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現代歌人ファイルその7・中澤系

 中澤系は1970年生まれで、「未来」に所属し岡井隆に師事。早稲田大学第一文学部哲学科卒業。1997年から「未来」に参加し、翌年には「uta 0001.txt」にて未来賞を受賞するという急成長ぶりを見せている。テキストファイルの拡張子が冠されているタイトルからもわかる通り、デジタル世代の思想を多分に意識した作風である。

  3番線快速電車が通過します理解できない人は下がって
  終わらない だからだれかが口笛を嫌でも吹かなきゃならないんだよ

  駅前でティッシュを配る人にまた御辞儀をしたよそのシステムに
 巻頭作品である1首目から、強烈なインパクトである。見慣れたプラットフォームの風景が、システムによって思考停止させられる人々の集合に一瞬にして様変わりする。それは戦慄といってもいいくらいのものである。中澤の目に映る世界は、巨大なシステム網に覆われている。それはデジタルな判断をもって人間たちを分別することの繰り返しであり、そのような日常は永遠に終わることがない。宮台真司が言うところの「終わりなき日常」である。それでもぎらついた目で世界を見つめ続け、苛立ちのような静かな攻撃性を歌の中で発揮しようとする。歌を内部に向かう「癒し」ではなく外部へと向かう「武器」として用いようとしている典型的な歌人といえるだろう。

  かみくだくこと解釈はゆっくりと唾液まみれにされていくんだ
  ぼくたちが無償であるというのならタグのうしろを見てくれないか

  小さめにきざんでおいてくれないか口を大きく開ける気はない
 中澤の歌の特徴として、相手に対して何かを呼びかけている歌が多いということが挙げられる。これは終わりのない日常の中にいて、それでも他者を必要としているということである。聞き入れてくれるかもわからない叫びを、これを読んでくれている「誰か」に向けて必死で届けようとする。その裏側には悲痛ともいえる焦燥感が貼りついている。そんな歌が連作として並んでいくと、歌世界はある種の熱暴走を起こし読者に激しいドライブ感を与えてくれる。これは現代を生きる無数の匿名者たちの叫びなのかもしれない。

  ぼくの死でない死はある日指先に染み入るおろし生姜のにおい

  負けたのだ 任意にぼくは ひろびろとした三叉路の中央にいた

  ぼくたちはこわれてしまったぼくたちはこわれてしまったぼくたちはこわ
 3首目は歌集ラストの歌。モニターが突如ぷつんと切れたような強烈なイメージでもって歌集は終わる。これは世界の終焉であり、同時に「終わりなき日常」から脱出するための最後の救済でもある。中澤が短歌という詩形を選んだのは、それが必ず三十一音で断絶しなければいけない、最初から終わりを決定づけられた世界だったからかもしれない。自己崩壊というかたちのみでしか自己救済ができなかったというのなら、それはあまりに悲しすぎる真理である。
 中澤は2001年頃より副腎白質ジストロフィーという進行性の難病に冒され、現在では自分の意志を伝えることすらままならない状態にあるという。歌集「uta 0001.txt」は2004年に有志の手によって発行された。そのような現実のドラマが、中澤系という歌人をいっそう伝説的なものにしている。