トナカイ語研究日誌

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現代歌人ファイルその6・奥田亡羊

 奥田亡羊は1967年生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、NHKのディレクターとして働いていた時に仕事で佐佐木幸綱と出会ったことがきっかけで「心の花」に入会。2005年に「麦と砲弾」で第48回短歌研究新人賞、2008年に第一歌集「亡羊」で第52回現代歌人協会賞を受賞しました。その歌風は師・幸綱譲りの「男歌」の流れを汲んでおり、無頼で「俺」という一人称の似合うものになっています。ただ奥田の「男歌」の特徴は、情けなくかっこ悪い己の姿を裸のままでさらけ出す点です。ハードボイルドになりきれずぐだぐだと生きるひとりの男の姿に、たまらない哀愁と共感でしびれてしまうのです。

  宛先も差出人もわからない叫びをひとつ預かっている
  今日こそは言わねばならぬ一行のような電車が駅を出てゆく

  ほめられてぺろぺろ舐めて舐められてひとりになれてやっとさびしい

  逆さまにビルから人が落ちてゆく顔まで見えて人はひとりだ

 生きていくことの哀感と孤独、そういったものが満ち溢れている歌です。奥田の詩作の原点は自由律俳句にあるそうで、確かにこの厭世感は尾崎放哉や種田山頭火に通ずるものがあります。

  脱ぎ捨てた服のかたちに疲れても俺が求めるお前にはなるな

  折れるほど抱きしめるのに俺たちがただ棒切れのような日もある

  からっぽの箱に言葉を詰め込んで残そうとした俺たちである

  かかかんと指で茶筒を鳴らしおり泣きたい俺はどこにいるのか
 歌集の中には、妻との離婚、逃避のような田舎暮らし、尊敬する先輩の死といった人生の一ページが切り取られています。いずれも「からっぽ」というのがキーワードになっていることに気付きます。自分の中にあったものがすべて無くなってしまい、心にはただ空洞が残されている。不惑とは名ばかりの、ひたすら心惑うことばかりの日々。己の人生を振り返ったとき、大切なものをすべて失くした自分はどうしようもなく敗者だと思えてならない。そのような「敗北」の匂いが歌世界全体に充満していて、それはしみじみと心に沁み込んでくるのです。

  負けるしかなくて掴んだ夕暮れを呪文のように引きずっている

  この国の平和におれは旗ふって横断歩道を渡っていたが
  犬走る、俺走る、犬もっと走る、俺もっと走る、菜の花だけになって河口よ

 「敗北」と「喪失」を抱えたまま惨めに生きていくしかない切なさ。「犬走る〜」のブレーキが利かなくなったような破調は孤独と哀愁の暴走というべきものかもしれません。奥田の描く自己像は端的に言って、過去を引きずり続けるダメ男です。しかし、すべてをさらけ出そうとする覚悟と短歌という詩形が「これは俺だ」と読者に思わせるほどのパワーを引きずり出していることは間違いありません。