トナカイ語研究日誌

歌人山田航のブログです。公式サイトはこちら。https://yamadawataru.jimdo.com/

映画化してみたい歌集

 歌集というのはひたすら短歌ばかり並んでいるわけですが、全体で起承転結があってひとつのストーリーになっているものも少なくなかったりします。そんな歌集を読むたびに思うのが、映画化してみたらどうなるだろうということ。実際「智恵子抄」とか映像化された詩集はあるのだから、歌集だって不可能ではないのではと思うわけです。映像の端々に短歌はさみながらストーリーが進んでいくとか。
 そんな僕が満を持して映画化してみたいと思う歌集が、桑原正紀「妻へ。千年待たむ」。作者は1948年生まれでベテランの域に達する歌人です。これは、脳動脈瘤破裂で倒れて以来新しい記憶を留めることができなくなった妻への介護の日々を綴った歌集です。はじめてこの歌集を読んだ時は、泣きました。まさか歌集を読んで泣くことがあるとは思いもよりませんでした。僕はこの歌人のほかの歌集を知らないのですが、感情のこもった歌いぶりはおそらく普段の作歌とは少しイレギュラーな、より濃く私小説性を滲ませたものではないかと思われます。歌集というよりも日記を読んでいるような感覚に包まれ、そしていつの間にか頭の中にひとつのストーリーが組み立てられてしまうのです。

  幾本もの管につながりしろじろと繭ごもる妻よ 羽化するか、せよ。
  猫よ啼け「母ちやん帰つてこい」と啼け 言ひきかせれば頻り啼くかも

  よみがへるのも地獄なら、なあ妻よ、このままずつと醒めずにゐるか
 目が覚める可能性は低いと聞かされたあとの歌。飼い猫の声を妻に聞かせようと(この夫婦には子供がいないらしい)録音しようとしたりする、情けなく怯えた自分を客観的に描写しているわけです。それはたまらなく悲痛です。

  「一生を車椅子にゐてもいい。しやべつて笑ふ、それがおまへだ。」

  新しき記憶たちまちこぼれゆく妻にまた言ふ「水仙咲いたよ」

  立つたままひつたりと胸と腰あはせ妻抱きてをり性愛ならで
  坂の上に湧く白き雲 いまはただその雲めざし車椅子押す
 奇跡的な回復をみせるも、脳と身体に障害を残し、記憶を失ってゆく妻を介護する日々。「思い出」がなくなり、すべてが一瞬だけの出来事という世界に生きている妻への視点が、ひたすらに優しいです。

  飛行船ぽかんと浮ける冬のそら 妻のなづきに洞(ほら)三つある
  ぽかんぽかんと生きゆくもよしもう充分がんばつてきた君だから
 「ぽかん」というオノマトペは、歌集全体を覆うテーマといってもいいと思います。それは世界から遊離したものの形容であり、それまで力こぶを固めて生きてきた妻へのねぎらいの気持ちでもあります。この歌集の中では春から冬へゆっくりと季節が流れています。しかし妻は記憶とともに「季節」という感覚をも失っているわけです。だからこそ、あえて季節を描く。すぐ隣にいながらまったく違う時間軸を生きることになってしまった夫婦。そんなふたりの一年間を短歌を絡めつつゆったりと追う映画なんかにしてみたら、なかなかいいものになるのではと思ったりするのです。