トナカイ語研究日誌

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カムバック歌人

 狭い短歌界といえど毎年どんどん新人が出てくるわけで、その一方で消えてしまう歌人もいるわけです。まあ基本的に歌を詠み続けていればそうそう消えはしないのですが、短歌そのものから離れてしまうというケースも少なくないのです。寺山修司は途中で短歌からすぱっと離れてもなお別ジャンルで活躍し続けましたが、「消えた歌人」の多くは全くの一般人となってしまいます。
 しかしもちろん例外はありまして、長期間短歌から離れていた歌人が華麗な復活を遂げることもあります。

  男の子なるやさしさは紛れなくかしてごらんぼくが殺してあげる  平井弘

  するだろう ぼくをすてたるものがたりマシュマロくちにほおばりながら  村木道彦
  ヘッドホンしたままぼくの話から海鳥がとびたつのをみてる  正岡豊
 いずれも衝撃的な印象を受ける名歌です。平明な口語で綴られながらもくらくらするようなポエジーにあふれています。とても新鮮な歌であり、これらが後続の歌人に与えた影響は並々ならぬものがあります。彼らはこれらの清新な歌を残しながらごく短期間で作歌を中断してしまいました。中断の理由として村木道彦は自己模倣で袋小路に陥ったというようなことを言っています。確かに、パイオニアであるがゆえに求められる持久力たるや凄まじいものでしょう。しかし彼らはみな、のちに短歌に復帰しました。その理由についてはいろいろ心境や環境の変化などがあったのでしょうが、下の世代からのリスペクトというのも要因としては大きいでしょう。村木道彦は俵万智、正岡豊は枡野浩一の熱心なラブコールが復活の一因であったと思います。また平井弘も、のちのライトヴァースに大きな影響を与えていることを穂村弘がしばしば評論の中で指摘しています。彼らの歌はあまりに長い間、少しも色あせることがなかった。これはなかなかすごいことだと思います。
 かく言う僕も、復活して欲しい「消えた歌人」がいるのです。その名は西田政史。1962年生まれで、1990年に「ようこそ!猫の星へ」で短歌研究新人賞を受賞した歌人です。「玲瓏」にて塚本邦雄に師事しました。もともと「ニューウェーブ三羽烏」は加藤治郎荻原裕幸とこの西田政史だったそうなのですが、西田がフェイドアウトしてしまい代わりに穂村弘が加わった格好です。

  ぼくたちの始まりのときC#mが二度はづんで消えた

  憂鬱はわりに好きだよなまぬるいピクルスに似たところもないし

  それはそれは愉快だつたがいまはもう象の言葉も思ひ出せない

  水晶のかけら投げ合ひからうじて恋愛といふ王国まもる

 何というかすごくおしゃれです。海外小説の翻訳文体をそのまま短歌に持ち込んだような雰囲気。C#mのような音楽記号を出してきたり(ちなみにこれはシリーズでほかにもF#mとかG#7とかいろいろある)、突如「象の言葉」のような突拍子もない比喩を用いてみたりといったおもちゃ箱のようなポップさは、現代でも十分すぎるほど新鮮です。西田は結局第一歌集「ストロベリー・カレンダー」を出して以降は目立った活動をしておらず、「玲瓏」から「中部短歌」に移籍したものの結局短歌から離れてしまったようです。しかし、これほどまでに新鮮で色あせない歌を残した西田政史のカムバックを願ってやまない歌人は、僕だけじゃあないはずなのです。