トナカイ語研究日誌

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現代歌人ファイルその40・黒瀬珂瀾

 黒瀬珂瀾は1977年生まれ。大阪大学大学院文学研究科修士課程修了。1996年に「中部短歌」に入会し春日井建に師事。2003年、大学院在学中に上梓した第一歌集「黒耀宮」で第11回ながらみ書房出版賞受賞。2006年からは「未来」に所属している。
 黒瀬は13歳の時に作歌をはじめ、子供たちの短歌誌「白い鳥」に参加していたというから年齢のわりに歌歴は長い。それだけにその作風は絢爛な文語を用いており、詩を知り尽くした修辞力あふれるものである。しかし老成した印象はまったく受けない。その理由はひとえに、黒瀬がサブカルチャーとしての短歌を明確に志向していることにある。

  The World is mine とひくく呟けばはるけき空は迫りぬ吾に

  地下街を廃神殿と思(も)ふまでにアポロの髪をけぶらせて来ぬ

  復活の前に死がある昼下がり王は世界を御所望である

  少女ふと薄き唇をわが耳に寄せて「大衆(マッス)は低能」と言ふ

  「巴里は燃えてゐるか」と聞けば「激しく」と答へる君の緋き心音

  わがために塔を、天を突く塔を、白き光の降る廃園を
 「黒耀宮」からの歌であるが、外国のファンタジー映画を思わせるような耽美的な世界観が広がっている。現代のようにも、中世のようにも思える。竹田やよいの表紙画にもあらわれているような、刹那的な美をたたえた者のみが存在するような世界である。短歌に耽美性を持ち込む手法は、師である春日井建から強く受け継いだものである。

  童貞のするどき指に房もげば葡萄のみどりしたたるばかり  春日井建

  火の剣のごとき夕陽に跳躍の青年一瞬血ぬられて跳ぶ

  両の眼に針射して魚を放ちやるきみを受刑に送るかたみに

 春日井の歌を語るとき、彼のセクシャリティの問題から逃れることは容易ではない。禁忌と破滅の美学が春日井の世界を支えている。この特徴は黒瀬にも脈々と引き継がれているが、黒瀬の場合禁忌に溺れることへのナルシシズムによりいっそう自覚的である。

  僕たちは月より細く光りつつ死ぬ、と誰かが呟く真昼

  男権中心主義(ファロセントリズム)ならねど身にひとつ聳ゆるものをわれは愛しむ

  十代の儀礼にかかり死ぬことの近しと思(も)へばわれは楽しも

  うるはしく汚名がわれに立つことも寒の世界のよろこびとせむ

  違ふ世にあらば覇王となるはずの彼と僕とが観覧車にゐる

  まなうらに残りし極彩の都 そのかみ僕は娼婦であった

 これらの歌に満ちている自己陶酔感は、ときに両性具有的でありときに過度に男性的である。そしてその自己陶酔を客観的に見ている自分自身も存在している。黒瀬の方法論は、まるで舞台に立っている俳優のように〈私〉を演出し、〈私〉の外部にいる誰かの意のままに動くことをして様式美としているのである。黒瀬にとっての〈私〉とは自己主張する存在ではなくひたすらに美に奉仕する存在なのだ。それゆえに黒瀬は生身の自分自身をも自らの作風にふさわしくあるよう自己演出してみせる。黒瀬には「自己表現」として詩を用いることへの嫌悪があるように思えてならない。本来崇高なものである詩が、〈私〉個人の記録のような矮小なものに貶められることへのアンチテーゼ。それが自己と世界をともに劇化する作風にあらわれているのである。
 春日井建の歌は、セクシャリティの面で社会的に孤立感を味わってきた自身の内面が表出して、逆に幻想的な異世界感覚へとつながっている。黒瀬の短歌もまたそういう側面をもつが、春日井と大きく異なる点はサブカルチャー(さらに狭義に言ってしまえばオタクカルチャー)からの引用を積み重ねることである。基本的にオタクは引用が大好きなのだ。それは小さなコミュニティを支えるための共通言語であり、仲間であることを確かめる合言葉である。そして自分たちの共同体が崩壊することは極度に恐れる。そういう点でオタクは共同体主義的であり、黒瀬もまたその共同体の住人に呼びかけるような短歌を作ろうとする。

  今日もまた渚カヲルが凍蝶の愛を語りに来る春である

  キラ、君のいる戦場へ翔るとき永遠までに五分たりない

  エドガーとアランのごとき駆け落ちのまねごとにわが八月終わる

  June よ June、君が日本の一文化なる世を生きてわが声かすむ

 これらの歌の元ネタを紹介することは無粋でしかない。黒瀬の〈私〉が忠誠を誓う「外部の誰か」のひとつがサブカルチャーなのである。そしてサブカルチャーへの意識からたどり着いた命題のひとつが「日本」という問題である。なぜ自分は日本の伝統詩たる短歌を選んだのか。歌人ならみな一度は抱く逡巡に、黒瀬はあえて「ある意味で最も日本的なもの」であるサブカルチャーを経由させて挑んでみた。その結実といえるのが2009年刊行の第二歌集「空庭」所収の連作「太陽の塔、あるいはドルアーガ」であろう。

  いつのまに僕らは大人になつたのか 塔を登つた記憶はないが

  日本はアニメ、ゲームとパソコンと、あとの少しが平山郁夫

  戦つた人たちがゐて消えてゆく みんな塔へと飲み込まれゆく

  塔を登るやうであつたか十三の階段をしづかに東條英機

  プリズンの崩れしのちを太陽の塔は苔むし建ちたるあはれ

 池袋のサンシャイン60ファミコンソフトの「ドルアーガの塔」、巣鴨プリズン。時代と次元を超えた三つの「塔」のイメージが交錯し、日本という国に生まれたことの不思議が綴られてゆく。「ドルアーガの塔」にここまで文学的な意味づけをできたこと自体が大きな業績であると思う。「空庭」には他にも、自己劇化の技法を用いての社会詠が多くみられる。この変化は、単に岡井隆の影響ばかりが原因ではない。時代が要請した円熟といってもいいものであろう。