一穂は1925年、27歳の8月、「萬朝報」に3回に渡って『詩壇への公開状』を執筆した。詩人・吉田一穂の立ち位置を明確にし、詩壇の混迷状況を切って捨てる短い評論である。 一九一九年以降、多大の過誤を妊んで隠然一個の中心勢力を成し何等芸術運動としての主…
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